3000万平方キロメートルの広大な地域に陸地が占める面積は2%だけ。「島国根性」という言葉は、視野が狭く閉鎖的といった意味で、普通日本人の国民性の否定的な側面を指して用いられるが、私が2000年から2年間滞在した大洋州地域の島国に住む人々もまた、外部の世界に対してやや複雑ないわく言い難い感情をもっているようだ。とても気さくで親しみやすく、おおらかで朗らかな人が多いのだが、自分たちの地域は世界の他の国々に無視されているといった不満や、外国の影響に対する警戒心または反感は、彼らの内に意外と広く共有されている。
じっくりと話しを聞いてみると、どうもこうした心情の奥底には根深い無力感が横たわっているようだ。概してこの地域の国々は、国土が小さいだけでなく、大小の島々により成り立っているその地理的構成上、国内外との交通、運輸、通信も容易でない。人口も資源も少なく、国際的な発言力も低い。グローバル化の大波の中で、経済的・文化的生存を危ぶむ声があるところに、社会不安や温暖化現象による海面上昇の懸念まで加わっては、彼らが無力感を抱くのもある意味無理からぬことなのかもしれない。
パプア・ニューギニア生まれのトンガ人作家エペリ・ハウオファは、この無力感を克服するためには、まず人々が自分たちの国を島国ではなく海洋国として考え直す認識の転換が必要だという。南太平洋の多くの社会における伝統的な概念では、「土地」は海岸線で終わるものではなく、陸地から沖合いまで続くものだった。大洋に浮かぶ島嶼は、ちょうど砂漠に点在するオアシスのように、人々にやすらぎの場所を与えるが、彼らの活動領域はそこに限られるものではない。広大な大地を駆け巡る遊牧民のように、海洋民族である彼らの先人たちは渺漠たる大海を舞台に互いに交流し、時には争い、果敢に冒険もし、またそこから自然の恵みを得て、独自の文化を育んできた。海は陸地を隔てる障壁ではなく、生活圏の一部であるとする考え方に立ち返ってみれば、彼らが住むこの地域は「海に浮かんだ小さな島々」ではなく、「多くの島々を擁する大海」というように一体感をもって捉えなおされ、大洋州の人々は不要な無力感を捨て自信と積極性を取り戻すことができるはずだ、という主張だ。
この自信と積極性というものは、人々の行動とその結果に驚くほど大きな違いを生む。私が国際赤十字連盟の大洋州代表部で携わった開発事業においても、まず大切なのは、当事者が自分がやらねばという責任感と、やればできるという自信を持つことだった。私たちの役割は、外部の援助への不満と不信を静かに抱えている各赤十字社と率直に話し合い、パートナーとして彼らの信頼を得ることから始まって、彼ら当事者の責任感と自信を促すような刺激を与えることと、実際にそれを行動に移し成果を挙げることができるよう後ろから支援することに尽きるといっても過言ではない。
私が担当していた事業の内の一つにコンテナ型救護倉庫の配備というものがあったが、これにしても、人材育成や組織強化の側面には常に特別な重点を置いていた。倉庫配備と救援物資供給に加え、救援物資の在庫管理や、物資使用状況の報告といった活動を通して各赤十字社本社及び支部の活性化とプロジェクト管理能力の育成に寄与する。災害に関する情報交換のためのネットワーキングや災害教育といった活動については言うに及ばず、各赤十字社の災害対策計画作成・改訂の活動も、その過程で赤十字職員、ボランティア、政府及びNGO関係者や地域住民と対話し、可能な限り広く参画を求めることで、ただ書類を一つ作るということにとどまらず、より広範で持続可能な効果を生む。
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