2008年1月28日月曜日

ビル・ゲイツがすごいと思うわけ

フィランソロピーや社会貢献の話をしていると、よく出会う人たちの類型があります。

  • 「愛は地球を救う」型: 草の根NPOなどに多いタイプで、思いやりの気持ち、行動の意図を重視するあまり、その効率や持続性にはあまり意識が向かない
  • テクノクラート型: 国際組織や大手NGOの一部に多いタイプで、現実の問題の複雑さをよく理解しているがために、一種のシニシズムに陥り、現状の枠組みで与えられた仕事を粛々と進めることのみに専念する
  • ビジネス万能主義型: 最近急増しつつあるタイプで、ビジネスの手法を活用し、市場原理を徹底させれば、世界の全ての問題が解決するかのような錯覚を持っている
若干誇張が入ってますが、いずれにせよどのタイプにもそれぞれ長所と短所があり、それぞれに補いあってダイナミズムが生まれています。

しかし、今日ビル・ゲイツの世界経済フォーラムでの講演のノーカット版を改めて見てみて、彼はこれらのどの類型にも属さない、真に成熟したビジョンを持つthought leaderだと認識を新たにしました。

  • 「より広範な分野で資本主義経済の力を利用してイノベーションを起こす」ことに留まらず、「資本主義経済と言う社会システム自体をイノベーションの対象にしてしまう」ことを提唱している
  • 企業は、お金だけでなく頭脳を提供し、イノベーションの手助けをすることによってこそ、より大きな貢献が可能だと主張している
  • 企業だけでなく、政府や非営利団体が果たすべき役割と、協働の必要性についてよく理解している
  • 社会変革を突き動かす動力として、「自己利益」と並んで、「思いやり」が持つポテンシャルを認識している
  • インセンティブの形態として、「金銭的利益」だけに限らず、「評判」の重要性にも着目している
  • 「創造的資本主義」を現実にするためのさしあたっての突破口は、「成果の測定」にあることを理解している
等々、彼の話を聞いていると、「我が意を得たり!」というポイントが目白押しです。

ゲイツ財団を立ち上げて試行錯誤をする中で、様々な失敗もし、彼のスタイルについて批判もあると聞いていましたが、さすがに学習能力と洞察力がずば抜けているのでしょう。他のどんな社会起業家や学者と比べても、見えている視野の広さ、問題の本質を考える深さ、そして人を動かせる楽観的積極性において、これほどの人は私が知る限りちょっと見当たりません。

2008年1月26日土曜日

ビル・ゲイツの「創造的資本主義」

ビル・ゲイツが、一昨日ダボスの世界経済フォーラムで行った講演で、「創造的資本主義」の必要を訴えて、大きな反響を呼んでいるようです。

資本主義経済が持つすばらしい特長は、インセンティブを有効に活用することで、人間一人一人が持つイノベーションを生み出す力を最大限に引き出して、価値創出の持続的拡大のサイクルを実現するという点にあります。ただ、資本主義が副産物として生み出す富の偏在は日々加速度的に進行しており、世界の人口の半分以上にあたる貧困にあえぐ人々は、そうしたメリットを享受できず取り残されています。

そうした資本主義の特長をより創造的に活用し、これまで資本主義経済の外部に置かれていた問題の解決に向けようという考え方が、ゲイツの「創造的資本主義」で、これはムハマド・ユヌスが提唱している社会性ビジネスの考え方にもまた密接に関連しています。

ゲイツはこの創造的資本主義のコンセプトについて、昨年ハーバード大学の卒業式での式辞でもすでに語っています。そこで彼は、「みんなが他の人を思いやる気持ちが足りないのが問題なのではない。複雑に入り組んだ現実に直面して、そうしたみんなの気持ちを活用することができずにいるのが問題なのだ」と言った後、「問題を認識し、解決策を見出し、そのインパクトを理解することができるようにして初めて、思いやりの気持ちが実際の行動へとつながる」と述べていますが、これには強く賛同します。

「問題の深刻さ・重要さを正しく認識できるようにする仕組み」、「解決策のイノベーションがより生まれやすくなる仕組み」、そしてその「インパクトがよりよく理解できるようにする仕組み」は、 どれも社会価値創出のためのエコシステムを構成する根幹の要素であり、これらが創造的資本主義への進化を促進するのだと考えています。私が現在友人たちと取り組んでいる「社会貢献価値」取引所のプロジェクトの意義もまさにここにあります。

2008年1月23日水曜日

ムハマド・ユヌスがやってきた ヤァ!ヤァ!ヤァ!


グラミンバンクの創始者で2006年のノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏がシカゴで講演をされるということで、極寒の中ダウンタウンまで出かけて聴いてきました。700~800人くらい収容できる会場はほぼ満席でした。

マイクロファイナンスや社会起業に特に関心のある層を対象としたものではなく、全く一般の人向けなので、ユヌス氏の話の内容も、出てくる質問のレベルも、正直言って大したことありませんでした。でもまぁミーハーな私としては生ユヌスを見て、直筆サイン入りの新著『Creating a World Without Poverty: Social Business and the Future of Capitalism』を購入できただけで、とりあえずは満足。

講演自体は40分程で、グラミンバンク設立当初の話が半分、残りは最近彼がフォーカスしている社会性ビジネスについてでした。新著でも述べている通り、彼の定義では「社会起業 (social entrepreneurship)」は営利も非営利も包含するのに対し、「社会性ビジネス (social business)」はその下位概念で、営利活動を通じて社会的価値を生み出す事業形態の方にスポットライトをあてます。

ノーベル平和賞受賞スピーチでも話していた"social stock market"についても二回言及がありました。個人的にはこのトピックについて彼の考え方をもうちょっと突っ込んで聞きたかったのですが、軽く触れた程度で、ちょっと残念でした。

質問時間は20分くらい。私もずっと手を挙げ続けていましたが、競争者が多くて、運悪く結局指されず終いでした。

2008年1月20日日曜日

カーボン・オフセット取引と「社会貢献価値」取引

先月、『「社会貢献価値」取引と排出権取引の違い』 というエントリーで、HIP InvestorのCEOのポール・ハーマンから聞いた話として、「排出権市場で「社会貢献価値」も取引できないかというプランを構想している人たちがいるそう」だと書きました。

排出権取引には大きく分けて、強制的アプローチ(Mandatory approach)と自主的アプローチ(Voluntary approach)の二種類があります。国際条約や国内法で、あらかじめ温室効果ガスの排出上限を設定した上で、その過不足を排出権の形で融通する、いわゆる「キャップ・アンド・トレード」と言われる仕組みは、強制的アプローチに入ります。先月のエントリーで書いたとおり、このアプローチにおいては、取引される「排出権」という実体のないものに価値を与えているのは、政府の強制力であり、私達の考えている「社会貢献価値」取引とは、全く性質が異なります。

2週間ほど前にサンフランシスコでポール・ハーマンと再会した際に、もう一度この話題が出たのですが、このプランを考えている人たちは、どうも自主的アプローチの方により関心を持っているようです。こちらは、最近日本でも聞くようになってきたカーボン・オフセットのように、誰かに強制されることなく、ひとえに本人の意志によって、二酸化炭素削減のための努力にお金を出すものです。

実はこの自主性に基づいた取引の仕組みは少しずつ広がっています。Ecosystem Marketplaceなどを見ると、「生態系の多様性保全」といった成果の定量化が難しいプロジェクトも取引の対象になっています。「生態系の多様性保全」という価値が取引できるならば、「貧困の削減」だとか「教育の改善」といった価値だって取引できるはずだ、と考えている人たちが出てきているのは当然の流れと言えるでしょう。

ただ実態をよく見てみると、自主的アプローチにより行われているこれらの取引は、いまだに多くの問題を抱えており、それは結局、現在ソーシャルセクターが直面している問題と五十歩百歩と言わざるを得ません。

  • 価値を測る基準がバラバラで、当事者は毎回の取引ごとにこれをよく吟味する必要がある (High transaction cost due to no valuation standard)
  • 取引によって買われた成果が実現されることを保障するための、制度的枠組みが脆弱 (Weak institutional framework to ensure/monitor the delivery of results)
  • 取引に参加するインセンティブを維持するための仕組みが存在しない (Lack of proper mechanisms to maintain participants' incentives)
  • 一度購入した価値は、他に売ることはできず、また何の使い道もない (No liquidity/convertibility)

このように、まだ本当の意味で市場の効率性を活用できているとは言えず、従来の寄付市場と大差ありません。GlobalGivingSocial MarketsSasix、それにKivaといった既存の仕組みは、すでにこの段階になら達していると言っていいと思います。

私がこの件について少々調べてみた結論としては、「社会貢献価値」取引所プロジェクトで我々が取り組んでいる問題の解決には今のところあまり有用な教訓が得られそうにない、と判断してよさそうです。

2008年1月18日金曜日

Fundamental limitations of the emerging "best practices" in social impact measurement

When I was in San Francisco early this month, I met Sara Olsen, Founding Partner of Social Venture Technology Group and one of our Social Value Exchange System project's advisors. (She is also one of the founders of the Global Social Venture Competition, the largest and oldest student-led social venture business plan competition.)

She is now working on the revision of "Double-Bottom Line Methods Catalog", Rockefeller Foundation paper she co-authored in 2004, and kindly suggested that we share with her the insights we gained through our Social Value Exchange System project so that she may incorporate them into her new paper with due credit.

I found the DBL Methods Catalog very neat and useful. This is exactly the kind of information that we were looking for in the beginning of our project.

I totally agree with the paper's authors that "The best use of capital will come when feasible and credible accounts of the short and long-term impacts of social organizations can be shared with confidence among a variety of constituents, including business and nonprofit leaders, governments and policymakers, and investors."

The social sector suffers from fragmentation and inefficiency due to lack of healthy competition that would help resources to be channeled to the most effective uses and beneficiaries to the most effective programs. There has been a significant increase recently in the level of interests across the social sector in the possibility of adopting market mechanisms, but the biggest unresolved question is how to assess the non-economic values created by social organizations in the absence of price mechanisms.

In the future, the emerging best practices catalogued in this and new paper may or may not evolve into the de-facto standards for social impact accounting that allow reasonable measurement and comparison of the impacts of programs that share similar well-defined objective. However, I have a serious doubt about the potential of the existing approaches, either quantitative or qualitative, to develop the workable valuation mechanisms that are conducive to development of social value exchange system, which can stimulate healthy competition among agencies and push the sector to its full potential.

This is because those approaches largely overlook the unique problems with social impact assessment, which have been long recognized by students of welfare economics, environmental economics and social choice theories:
  • Social values are plural, often incommensurate with each other, and may possess intransitive relation.
  • With social impact, one is affected by the consequences of other peoples' choices, whereas with private goods, the consequences of one's choice fall on oneself.
  • The sphere of social impact lacks the price signal that functions as an indicator of the intensity of consumer preferences in normal markets where private goods and services are traded.

As noted by economists such as Amartya Sen, 1998 Nobel Prize Laureate in Economics, collective choice in social and environmental values often could not possibly be simply the linear aggregation of individual choices. The conventional utilitarian model of quantitative impact assessment as well as qualitative approach are both fundamentally inadequate in the sphere of public goods such as social and environmental impact. What is required instead is an alternative method of social impact assessment that:

  • Can integrate plural, intransitive, incommensurate values
  • Can bridge individual valuation to collective valuation
  • Is cost-efficient, striking an optimum balance between feasibility and credibility
  • Is fair, ensuring stakeholders' representation and accountability to not only funders but also to beneficiaries
  • Provides transparent, sensible process for trading off one option against another

村上世彰氏が日本の寄付市場の拡大を図るためのプラットフォーム作りに20億円を寄付

東京の友人からのメールで、村上ファンドの村上世彰氏が、日本の寄付市場を拡大するためのプラットフォームとしてNPO法人「チャリティープラットフォーム」を設立したというニュースを知りました。

最近のAERAに記事が載っていたそうで、それによると、
  • 村上氏は同NPO基金に15億円を既に寄付済みで、今年も5億円予定。 累計の寄付は20億円にのぼる
  • 資金の使途としては、NPO/NGO支援のために5億円、大震災時の緊急支援の研究のために10億円

とのことらしいです。日本のノンプロフィット業界で20億円というと、相当インパクトがある金額です。

ゲイツやバフェットに触発されて、日本でも大きな動きを見せる人が現れてこないはずがないと思っていましたが、村上氏は正直ノーマークでした。 さすがに頭の良い人ですから、ただお金を出すだけではなく、その効果を最大化させるためには何に使えばよいかを考えた上で、寄付市場拡大のプラットフォームに目をつけたのでしょう。ただ、ホームページを見た限りでは、まだ具体的なアプローチや活動についてはフォーカスが絞りきれていない印象を受けました。実際にどうすれば寄付市場を拡大させることができるのか、そこで自分たちにできるユニークな貢献とは何か、「theory of change」を模索している段階ではないでしょうか。

ノンプロフィット業界では人々からの信頼が何といっても最大の資本ですから、世間の村上氏に対するネガティブな見方を考えると、既存の中堅以上の団体は、まずは「敬して之を遠ざく」というリスク・アバースなスタンスにならざるをえません。しかし、近年日本でも台頭しつつある社会起業家の中には、ビジネスライクに「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と割り切り、リスクを取ってでも協働する人たちも出てくるはずだと思います。

私が目指す、「社会起業インフラの整備」とその先にある「社会価値創出エコシステムの共創」というビジョンに近いものを感じますので、是非注目していきたいと思います。

2008年1月13日日曜日

サンフランシスコでのネットワーキング - その2

サンフランシスコでの2日目は、ノンプロフィット・コンサルティング・ファームを3社訪問しました。

1. FSG Social Impact Advisors

米国のサンフランシスコ、ボストン、シアトルと、スイスのジュネーブの4ヵ所にオフィスを持ち、約50人のスタッフを擁するノンプロフィット・コンサルティングの雄。設立者の一人が、戦略論で有名なマイケル・ポーターで、彼は今もシニア・アドバイザーの一人として関わっています。

ノンプロフィット・コンサルティングの仕事が実際どんなものか少し体感できるようにと、簡単なケース・スタディまでさせてくれました。私が本業のビジネス・コンサルの仕事で使っているスキルが、そっくりそのまま活かせそう。

2. Business for Social Responsibilty (BSR)

CSRに特化したコンサルティング・ファームで、サンフランシスコ、ニューヨーク、パリ、ミュンヘン、広州、香港、北京にオフィスを持っています。

会員制度を採っていて、会員企業は年会費を払うことで各種のリサーチ情報提供やイベント参加といったサービスを受けられる上に、個別コンサルティングサービスの割引が適用されるという仕組みのようです。昨今のCSRへの関心の高まりから、会員企業数が増加しているのかと思いきや、実は以前は400-500社あった会員企業数が現在は約250社弱まで減っているのだそうです。これは、数年前にビジネスモデルを見直して、大企業向けのサービスにフォーカスをシフトしたからということらしいです。

マネージャーのRaj Sapruさんによると、米国の企業より欧州の企業の方が、CSRに関する認識の高さや理解の深さにおいて、10年くらい進んでいるのだそうです。そういえば、FSGでも、フィランソロピーの進化は米国が、CSRの進化は欧州がより先を行っているという話しがありました。

少々雑な議論になりますが、米国型資本主義では、企業は純粋に経済的価値を追求する存在という考え方が強いのに対し、ネオ・コーポラティズム的な協調体制の面影が残る欧州では、企業は社会的存在であり続けたがために、社会的価値の推進を担う存在として、米国では企業でなく財団により牽引する形でフィランソロピーが発達し、欧州ではCSRが発達したということなのだと考えられそうです。

あと興味深かったのは、CSRの変遷についての議論。

① CSRが傍流でしかなかった時代 (~80年代)
     ↓
② 受動的CSRの時代 (90年代)
     ↓
③ CSRと本業の戦略的融和の時代 (2000年頃)
     ↓
④ 社会的価値を積極的に創出するCSRの時代 (現在~)

考えるに、ポーターの言う「戦略的CSR」は、 ③の段階の話。乱暴に言ってしまえば、CSRをどうせやるんだったら、本業のボトムラインにも貢献することをしようよ、って考え方です。それを超えたCSRが本当に今後生まれてくるのか?昨日見たClif Barのようなダブル・ボトムラインを追求する会社が例外的存在でなくなるのか?私自身はちょっとそれはナイーブにすぎる希望ではないかと考えているのですが、一応その可能性についても注目したいと思います。

3. Bridgespan Group

Bain & Companyの系列。オフィスは、ボストン、サンフランシスコ、ニューヨークの3ヵ所で、スタッフは総勢約150人。

ノンプロフィット・コンサルティングの分野で多分最も有名なファームだと思いますが、FSGがジュネーブにオフィスを最近設立するなど、いち早く国際化に取り組んでいるのに対し、今のところは国内市場にフォーカスしています。

FSGは学部生の新卒採用はせず、ビジネススクール卒業生でもコンサル経験者などの即戦力のみを採用するのに対し、ベインなどの普通のコンサル・ファームと同じように学卒もとればMBAの学生もとります。ただ、FSGと違って、まだ米国市民権保持者以外には雇用の門戸が開かれていません。

4. 交流会

他にも、サンフランシスコ市内のカフェで交流会を開き、以下の企業・組織の方々に来ていただき、コーヒー片手に色々な話を聞かせてもらうことができました。

  • Blu Skye: 社会的および環境的価値を追求する企業のための戦略立案などのサービスを提供しています。
  • The Broad Foundation: 教育、科学、芸術の分野でイノベーションを促進することを目的とした財団。
  • Education Pioneers: MBAなどの専門的スキルを持つ大学院生が、小・中・高校に行き、マネジメント改善などを行うというプログラムを展開しています。
  • IDEO: 世界最高といわれるデザイン・ファーム。バリアフリーの公共施設とか環境負荷の低い商品開発など、社会インパクトや環境インパクトを考えたデザインを専門にするスタッフもいます。
  • InsideTrack: 学生向けのコーチング・サービスを提供する会社。
  • Gap: ご存知、アパレルの大手企業。CSRに力を入れています。
  • Good Capital: Social enterpriseのポートフォリオをつくり投資商品として販売するなど、社会起業家の資本調達を助けるための業務を展開。
  • HIP Investor: 経済的利益と社会的貢献のダブル・ボトムラインを追求する企業へのコンサルティングを行っています。CEOのPaul Hermanさんは、私たちの「社会貢献価値」取引所プロジェクトのアドバイザーになってくれています。(彼の前歴がまた華やかで、McKinseyAshokaOmidyar Networkと渡り歩いてきています。)
  • Net Impact: 社会貢献に関心のあるMBA学生およびビジネス・リーダーの組織。米国を中心に世界に広がりつつあります。
  • Room to Read: 創業者ジョン・ウッドの著書『マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった』が最近日本でも出版され話題になったので、ご存知の方も多いと思います。
  • Salesforce.com Foundation: 社会貢献をするというのはそんなに難しいことじゃないんだと企業に呼びかけています。 「自社株式の1%を寄付できませんか?自社製品の1%を寄付できませんか?従業員の時間の1%をボランティア活動に充てることはできませんか?」
  • Social Venture Technology Group: 私たちの「社会貢献価値」取引所プロジェクトのアドバイザーで、Global Social Venture Competitionの創始者の一人でもあるSara Olsenさんにより2001年設立。社会的価値の測定に関するメソドロジーの開発やアドバイスを行っています。

サンフランシスコでのネットワーキング - その1


今月初め、社会貢献分野の組織・企業とのネットワーキングのため、ビジネス・スクールの仲間たちと一緒にサンフランシスコに行く機会がありました。 運悪く、数年に一度という規模の暴風雨がちょうどサンフランシスコを襲っており、びしょ濡れになりながら、この分野で様々な活躍をしている人たちに会ってきました。

まず初日に訪れたのは、3ヵ所。

1. WestEd

教育の分野で米国有数のNGO。中立的な立場から、教育制度に関するリサーチや、教育プログラム/カリキュラムの開発だけでなく、実際にその運営をするところまで手がけています。

マネージャーやディレクターの方とお会いして話を聞いた中で面白かったのは、この業界にはいってくる人は教育改革に情熱を燃やしている人が多く、新しいプログラムの開発には熱心だが、それを実際に普及させる段になると興味を失ってしまう場合が多いとのこと。なにげにエゴの強い人が多いソーシャルセクターでは、ままありがちな話ですね。

それにしても、日本ではこれだけ大規模のNGOというのはあまり見かけません。WestEdが埋めているニッチは、日本では独立行政法人だとか社団法人とかの、多くは天下り官僚の受け皿でしかない組織によって占められてしまっているのでしょう。

2. REDF 

ファンドの世界では知らない人はいないKohlberg Kravis Roberts & Co. (KKR)というプライベート・イクイティ・ファームの創始者の一人、George Robertsにより設立されたベンチャー・フィランソロピー・ファンド。

ベンチャー・フィランソロピーは、簡単に言うとベンチャー・キャピタルの手法をソーシャル・セクターに持ち込んだもので、日本での主だった例としては、今のところソーシャルベンチャー・パートナーズ東京くらいだと思います。結果(社会的価値の創出)にこだわり、従来の慈善財団のように社会的なプログラムにお金を出すだけでなく、組織基盤強化のための資金や経営アドバイスも提供するというモデルで、REDFはその中で最も成功している例の一つとして知られています。

サンフランシスコ・ベイエリアの雇用促進による貧困削減にフォーカスを絞り、対症療法的なプログラムでなく、問題の根本原因の解決に取り組むというアプローチを明確にしています。社会的インパクトの計測にも力を入れており、特にSocial Return on Investment (SROI)の開発で有名。

3. Clif Bar

アメリカではそれなりに有名なシリアル・バーの会社。CSRに力を入れているということで訪れたのですが、これがちょっとした衝撃でした。

正直に言って、私はいまだにCSRというものに少し胡散臭さというか中途半端なあやふやさを感じています。企業はあくまで利潤を最大化するための組織形態であって、ブレンデッド・バリューとかダブル・ボトムラインとか言ったところで、利潤以外の価値はあくまで二の次、またはリップサービスでしかないと思っていました。(別にだから悪いとかいうことではなく、それが企業の本来のあるべき形であるということです。)

しかしClif Barを知って、少し認識が改まりました。利潤を出す企業かどうかというのは、それほど意味のある分類ではないのかもしれない。大事なのは組織のDNAであり、文化であり、インセンティブ・システムだと。

なにしろ、社員の福利厚生から、商品の企画・開発、それにマーケティングや配送まで、徹底して社会的価値を追求しており、まさしく経済的価値と社会的・環境的価値の両立が組織のDNAに組み込まれているんです。

CSRというのは、corporate social responsibility(企業の社会的責任)ですから、社会的要請にresponseすることであり、つまり受動的なんですね。しかしGary Ericksonが設立したClif Barは、積極的に社会的価値を創出することが最初からミッションに織り込まれていますから、CSRを超えてまさしくsocial enterpriseです。

とは言っても、Clif Barがこれをできるのは、未上場の企業だからかもしれません。上場企業の場合はどうしたって株主利益の最大化が義務になりますから。

2008年1月12日土曜日

Exciting opportunity at a "client-centered microfinance" organization in Kenya

My friend who founded the One Acre Fund, one of the best examples I know of "client-centered microfinance" organizations in Kenya, is now looking for a partner to prepare the ground for taking the organization to the next level of innovation and growth. He says, "here in Kenya, the unrest is largely finished and things are back to normal." Hope everything will be under control soon .

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Company: One Acre Fund

Job Title: Director of Program Innovation

Description: The Director of Program Innovation is the first “major” full-time hire for the organization, and will be essentially a partner to the founder, in laying the organization's foundation. One Acre Fund's day-to-day operations are currently run by 30+ (growing quickly) local field staff; the Director conversely, will be responsible for new program innovation and for laying infrastructure for long-term growth.

The Director will:

  • Manage teams to execute 4-8 “consulting-style” program innovations at any given time – including new model configurations in new districts, and model improvements in existing districts
  • Manage both country-staff and American management-level interns in the execution of these innovations
  • Mentor, develop, and hire new local personnel to staff any innovations that are successful

Example innovations include:

  • Model innovations: experimenting with new field programs, starting up new mini-companies to support our operations, new performance management procedures, new crop trials, etc.
  • New districts launches, under new program configurations (including selecting and mentoring staff, planning out work, and overall execution responsibility)
  • New partner development: networking and developing critical relationships

The Director of Program Innovation will be the primary person responsible for evolving and making step-change improvements in the organization’s structure as we grow to scale. Although One Acre Fund is only 20 months old today, we are laying the foundation for One Acre Fund to be a major international NGO within ten years.

Qualifications: We are looking for somebody truly extraordinary to be the founder’s partner in launching this new venture. This is an extremely competitive posting for a business/ management-level position; please do NOT respond unless you fit these criteria:

  1. 3-10 years of post-undergraduate work experience in an elite management and generalist setting. Top-tier management consulting firm or successful entrepreneurial experience preferred. Experience should include: Project management responsibilities including overall execution responsibility, work plan and milestone ownership, and staff management; Managing junior staff in day-to-day activities; Developing junior staff through career reviews; Advanced analytical toolkit (e.g., using Excel to build an operational dashboard); “Get it done”/ implementation experience greatly preferred over research-style experience
  2. Top-performing undergraduate degree (include GPA and test scores on your resume)
  3. A good “start-up” personality that fits Africa well: Entrepreneurial, ambitious, independent; Structured thinker; Good communicator; Flexible; No ego or drama. A combination of strong leadership skills and humble approach to service - One Acre Fund only has kind, patient, and awesome people!
  4. Prior field experience in a developing country
  5. Must commit to living in rural Africa for two years in quite livable conditions
  6. Kiswahili a plus, Kinyrwandan or French a plus – none required
  7. Ability to cook/ laugh/ extraordinary patience – all desirable

Email cover letter and resume to paul.youn@oneacrefund.org (Subject line: “Director of Program Innovation Search – small circulation”)

2008年1月10日木曜日

SBI北尾吉孝社長

先月、『ロールモデル』 というエントリーで、「会社の枠組みを超えて、一人の人間として、ゲイツのようなビジョンと実行力、波及力を備えたロールモデルになりうる可能性を持つビジネスリーダーというと、日本では誰がいるのでしょうか?」と書いた後、孫正義氏や、渡邉美樹氏の名前を挙げましたが、最近気になっているのが、SBIの北尾吉孝社長。

日経ビズプラスに1月10日付けでインタビューが載っていて、その中に、

(49歳のときに悟った自らのミッションの一つとして、インターネット金融で得た)収益を社会に還元する仕組みを作って行こうと思いました。直接的な社会貢献とも呼べるもので、SBI子ども希望財団がすでにあります。また4月から後進の人物を作るためのSBI大学院大学も開校し、私自身も講義をしていきます。個人資産でも埼玉県に虐待やいじめなどで心や身体に傷を負った子どもたちのための施設を作りました。

という件りがあります。

他のインタビューでも、

(孫さんは、)「自分のところだけで」という発想が強い。僕は、世の中を良くするために生まれて来たなら、いいものはすべて解放すべきだと考えている。みんなに喜んでもらえればそれでいいんじゃないのという発想なんです。

と語っているなど、発言のはしばしに、孫さんや三木谷さんより、「社会全体を良くしてやろう」という姿勢と強い気概がにじみ出ている気がします。さらに、提唱するファイナンス2.0の概念といい、東京0区といい、新しいことを仕掛けてくれそうな構想力や躍動感も感じさせてくれます。個人的にその人柄を知っているわけではないので、単なるナイーブな期待なのかもしれませんが、もしかすると私が今取り組んでいる「社会貢献価値」市場の創設などとも、意外と近い方向性を持っていらっしゃるのかもしれません。

数年前、日経ビジネスの記事に関連していろいろと取り沙汰されたようですが、果たして今後どんな動きを見せてくれるのか。ちょっと気をつけてフォローすることにします。

2008年1月7日月曜日

Got the blues? - 恨(ハン)とブルース

昨年に続いて、今年もまたシカゴのブルース・ハウスBuddy Guy's Legendsに行ってきました。毎年1月にはバディー・ガイがシカゴに戻ってきてBuddy Guy's Legendsでライブ公演をします。ショーマンシップ旺盛な彼のライブは最高にクールで、シカゴ・ブルースの真骨頂を楽しめます。1月にシカゴにいらっしゃる機会があったら、絶対オススメです。

ところで思ったんですけど、文化的概念としての「ブルース」って多分韓国の「恨(ハン)」によく似ている気がします。人生の苦しみ、悲しみ、辛さ、妬み、怒り、嘆き。よく日本での「恨」の説明として、そうしたネガティブな感情にだけ言及するものが見受けられますが、これはちょっと単純化しすぎだと思うんです。例えるなら、日本の「侘び」という概念を「粗末さ」と説明してしまったり、「をかし」の意味は「面白い」だと言ってしまうくらいに。

イム・グォンテク監督の『風の丘を越えて-西便制』という映画に「恨をつむことが生きることで、生きることが恨をつむこと」という台詞が出てきます。「恨」は、人が生きる中で経験するやらしさ、きたならしさ、不条理から目を背けるのではなく、そうしたものに抱く様々なネガティブな感情とか鬱憤ややるせない気持ちを見つめ、わだかまり、泣き笑い、思い通りにならない現実をどうにかしたいともがき、叫び、惑い、さらにはそうした希望と絶望とがないまぜになった人生の深い襞や綾をある意味愛しんでしまうという心情であり、精神文化です。

そういう意味で、日本の「業」や「憂き世」の概念にも一脈通じるところがあるかもしれませんが、「恨」は日本のものより、何というかもっと粘度が高くて動的なイメージで、やはり「ブルース」にとてもよく似ていると思います。

2008年1月4日金曜日

政治家が尊敬されない日本

"米「尊敬する人物」調査、女性はヒラリー氏が6年連続首位"という日経の記事に目が留まりました。下記が、米紙USAトゥデーとギャラップ社が最近発表した米国民の尊敬する人物に関する世論調査の結果。

女性
1位 ヒラリー・クリントン上院議員 (18%)
2位 オプラ・ウィンフリー (16%)
3位 コンドリーザ・ライス国務長官 (5%)

男性 
1位 ジョージ・ブッシュ大統領 (10%)
2位 ビル・クリントン前大統領 (8%)
3位 アル・ゴア前副大統領 (6%)

これは、"What woman/man that you have heard or read about, living today in any part of the world do you admire most?"というオープン・クエスチョンに対する回答を集計したものです。わざわざ"in any part of the world"と、世界中の人物を対象とする質問をしているのに、それでも国外の人物が上位に全く入らないのは、アメリカ人の内向きというか自国中心的な世界観がここにもあらわれていると言って良いのではないでしょうか。

それより私が感心したのは、女性の2位の人気トークショーの司会であるオプラ以外は、上位が見事に政治家で占められていること。これは、日本ではまずありえないんじゃないでしょうか。多分、アスリートや芸能人、文化人で占められ、政治家はほとんど名前が挙がらなそうな気がします。

この違いは果たしてどこから来るのでしょうか?単純に考えると、三つの可能性がありそうです。

A. 日本の政界には国民から尊敬されるような優れた人材が集まらない
B. 優れた人材が入ってきても、日本の政界では国民から尊敬されるに値するような活躍ができない
C. そもそも、政治家を尊敬するという文化・精神風土が日本にはない

「政治家の質は、国民の質である」とはよくいわれることです。それはその通りなのでしょうが、ただ日本の政治家とアメリカを含む諸外国の政治家を見ていると、「国民の質」だけでは説明できないほど大きな差がある気がします。例えば、今回の米大統領選に名乗りをあげている、民主党のクリントン、オバマ、エドワーズ、共和党のマケイン、ジュリアーニ、ハッカビー、ロムニーといった面々を見ていると、それぞれ考え方やスタイルは異なれど、優れた見識と魅力を持った人たちばかりだと思います。こう言っては何ですが、日本の政治家とは雲泥の差。この中から自分たちの国をリードする大統領を選べるアメリカ人が羨ましくなるほどです。

「国民の質」の議論から一歩踏み出して、状況を改善できる現実的な方策を取ろうとすると、上記の三つの問題の可能性についてそれぞれ考察してみることが有用だと思います。Aが根本原因となっているのであれば、問題は最も深刻で、リーダーシップ教育や、社会の人材配分とインセンティブ構造を見直さなければなりません。一方、Bの場合は、現在の政治システムや政策決定メカニズムの有効性を再検証しなくてはなりませんし、メディアの扱いについても考えなおしてみる必要があるのではないでしょうか。Cの問題は、(日本の政治家には少々気の毒ですけど)それほど心配することはないと思いますが、Aの問題を助長しますので、まず国民が政治家という職業にもっと敬意を払うことから始めるというのも一つの手かもしれません。

2008年1月2日水曜日

ドミニカ共和国&ハイチ旅行 - その7

12月28日 (金) 【ドミニカ共和国】

昨日と同じ朝7時のCaribe Toursのバスに乗り、昼過ぎにサント・ドミンゴに到着。初日と同じPlaza Toledoのゲストハウスに宿をとり、午後はゆっくりZona Colonialを散策する。

Plaza de la Hispanidad

Zona Colonialの街並み


12月29日 (土) 【ドミニカ共和国→アメリカ】

サント・ドミンゴから朝8時過ぎの飛行機で、10時前にはマイアミに到着。午後9時の飛行機でシカゴに戻ることにし、それまでマイアミ市内をぶらぶらする。

ストーン・クラブとシーフード・プラッター(オイスター、ロブスター、シュリンプ)

旬のフロリダ名物ストーン・クラブを食べてみようということになり、ベイサイドのレストランでちょっと奮発。「ストーン・クラブの漁は10月中旬から5月中旬までのみ解禁になり、爪だけを食用に取って、本体は海に戻してやると、また爪が生えてくるんだって」と、聞きかじったウンチクを妻に披露したところ、「爪をとられたカニはどうやって餌を捕って食べるの?」と聞かれ、答えに詰まる。帰宅してからネットでちょっと調べてみたところ、両手を取られてもどうにか食べていけないことはないらしいが、外敵からの攻撃に無防備になってしまうので、基本的には大きい方の爪だけを取るのが慣行になっているらしい。もともとトカゲの尻尾のように、敵に襲われると自分の意思で爪や足を切り離して逃げることができるのだそうだ。

ドミニカ共和国&ハイチ旅行 - その6

12月26日 (水) 【ドミニカ共和国】

Cabareteを離れ、Samanaへ。朝7時30分にホテルの前でマイクロバスが止まってくれたが、すでに超満員。妻は運転手さんの横の座席にどうにか隙間を確保できたが、私は開いたドアにしがみつくようにして走行。途中で人が少しずつ降りて、2時間くらい経ったころにはどうにかドアを閉められるようになった。

Samanaには午前11時過ぎ到着。とにかく暑い。Haitises国立公園のツアーがこの町から出るというLonely Planetの情報をたよりにやって来たが、結局色々聞きまわったところ、明日ツアーに行こうとすると、隣町のSanchezにあるAmilka Toursという業者しかないらしい。

Samanaの湾岸にて自転車でウイリー走行する少年


12月27日 (木) 【ドミニカ共和国】

朝7時のCaribe Toursのバスに乗り、Sanchezまで戻る。8時前にはAmilka Toursに到着するが、他の客が集まるまで、3時間近く待つ羽目になる。

その間に近所のお兄ちゃんが話しかけてくる。「お前Chino(スペイン語で中国人)か?」

今回の旅行中に何度もいきなりぶつけられたこの同じ質問にそろそろうんざりしていた私は、少々ぶっきらぼうに「No」とだけ答える。すると、「じゃー、Naranja(スペイン語でオレンジ)か?」

「??」 私が、何のことだか理解できないでいると、そのお兄ちゃんが、笑いながらジョークの意味を説明してくれた。ドミニカ共和国にはChinaという名前を持つオレンジに似た柑橘類のフルーツがあるのだそうだ。これからは街角で「Chino!」と言って来たら、「No soy chino! Soy naranja!」と答えることにしよう。
Sanchezの街角の風景

Haitises国立公園の名前の由来は、先住民族Tainoの言葉で「山の多い土地」のこと。洞窟やマングローブの林などの自然美と、軍艦鳥やペリカンといった鳥たちに加えて、何といってもこの国立公園の目玉はTaino族の洞窟壁画。中には1000年以上の古いものもある。コロンブスの上陸時に40万人程いたTaino族は、ヨーロッパからもたらされた新しい伝染病と過酷な奴隷労役により、それから30年後には1000人まで人口が激減し、ついには絶滅してしまった。

巨大な根っこが洞窟の中まで下りてきている

水面に映るマングローブ林

落書きみたいに見えるけど、れっきとした貴重な文化遺産

ペリカン~スペイン語ではアルカトラズ

赤い喉袋をふくらませて飛ぶ軍艦鳥

ドミニカ共和国&ハイチ旅行 - その5

12月23日 (日) 【ドミニカ共和国】

Cabareteは、カイト・ボーディングやウインド・サーフィン、それにサーフィンで有名なリゾート地。ここにあと3泊4日滞在する予定なので、それぞれ1日ずつ体験してみようかと考えた。サーフィンショップに問い合わせるが、カイト・ボーディングは実際に海に出るまで少なくとも3日はかかるし、今日はサーフィンができるほど波もないとのことだったので、ウインド・サーフィンを試すことにする。


思ったよりも難しい。。。

12月24日 (月) 【ドミニカ共和国】

今日の海はサーフィンにもウインド・サーフィンにも向かないので、のんびりビーチで読書。

妻が髪を三つ編みにしてもらった~パイナップルみたい

クリスマス・イブのディナーは、ビーチサイドのレストランで。とても良い雰囲気。

12月25日 (火) 【ドミニカ共和国】

午後は風も波も出てきたが、めんどーくさくなってしまい、今日もビーチでのんびり。

おびただしい数のカイトが空を舞う

ドミニカ共和国の音楽といえばメレンゲが有名だが、もう一つBachataというものもあるらしい。両方のジャンルの曲が入った、今ヒット中というAntony SantosのCDを購入。

2008年1月1日火曜日

ドミニカ共和国&ハイチ旅行 - その4

12月21日 (金) 【ハイチ】

朝から航空会社に電話して、昨日の荷物について問い合わせる。幸い朝9時半の飛行機でCap-Haitienに到着し、ホテルに配送するよう手配したらしいが、空港からホテルまで車で10分程度の距離なのになかなか届かない。その間にユネスコ世界遺産のCitadelleへ行く方法について情報収集。妻がホテル内で知り合った現地在住らしい老婦人から、知り合いを紹介してもらうことができ、ツアーに参加するより安く行けることになった。

写真家で慈善事業家のAlecia Settleさんも同じホテルで滞在中で、彼女の作品の"Visualize Haiti"を見せてもらった。彼女の養女がハイチ出身で、この写真集の収益はすべてハイチの支援プログラムに使われるとのこと。今回もCrocs社から寄付されたサンダルを届けるためにハイチを訪れているのだそうだ。

正午過ぎに老婦人に紹介してもらったArryさんと一緒に、Citadelleに向かう。彼のオートバイに三人乗りで、舗装されていない道をぶっとばす。途中で国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH) の装甲車とすれ違う。ここも思ったよりも物騒なようだ。

Citadelleのある山の麓でガイドを雇って、馬に乗り換えSans Souci宮殿を通り過ぎ、約1時間半でCiadelleにたどり着く。 1804年にハイチがフランスから独立し世界初の黒人共和国となった後、独立戦争の功労者だったJean-Jacques Dessalinesはナポレオンをまねて帝位に就いたが、その専制的な支配は反感を買い、1806年には暗殺されてしまう。その後1820年まで続いた内戦で、南部でmulatto勢力を率いたAlexandre Petionに対し、北部で黒人勢力を率いたHenri Christopheによって造られた宮殿がSans Souciで、Citadelleはフランスの再侵攻に備えて築かれた山城。

Sans Souci宮殿

馬で山頂を目指す

Citadelleが見えてきた

Citadelleの中庭

CitadelleとSans Souci宮殿の見学を終え、麓に下りて来るともう午後5時近くになっていた。待機していてくれたArryさんのオートバイに乗り、暗くなりかけた中を相当ヒヤヒヤしながらCap-Haitienに戻って来る。日本で吸う砂埃と排気ガスの5年分を一日で吸いこんだ気がする。

ホテルに戻る前に、Arryさんに頼んでCD屋に寄ってもらう。ハイチでは、ブードゥーは音楽のジャンルとしても確立しており、またブードゥー音楽がアメリカのジャズの影響を受けて生まれたRacinesというジャンルもある。CD屋の主人オススメのブードゥー音楽とRacinesのCDを一枚ずつ購入する。

ホテルに戻ると、部屋にスーツケースが届いていて一安心。

12月22日 (土) 【ハイチ→ドミニカ共和国】

朝6時半過ぎにマイクロバスに乗ってCap-Haitienを出発し、二時間ほどで国境の町Ouanamintheに到着。オートバイで国境まで行き、出国手続きの後徒歩で国境を越えると、そこはドミニカ共和国側の町、Dajabon。混沌としたハイチを出て、正直ほっとする。

ハイチとドミニカ共和国の国境(Ouanaminthe側)

Dajabonからは、Santiago経由でCabareteまで、サント・ドミンゴ-ポルトプランス間でも使ったCaribe Toursのバスを利用。至極快適。

それにしても、今回の旅行では妻の語学力に依存しっぱなしだ。フランス語もスペイン語も少しかじったことはあるので、カタコトで意思疎通くらいできなくはないが、パリやペルーで仕事をしたことがある妻の方が実力ははるかに上。ハイチではクレオール語だけを話す人も多かったが、それでも英語よりはフランス語を解する人の方がずっと多いので、一人旅だったら相当苦労しただろう。

ドミニカ共和国&ハイチ旅行 - その3

12月19日 (水) 【ハイチ】

Jacmelに来た最大の目的であるBassins Bleuに行く方法を探して、ホステルや街中で聞いてまわるが、法外な料金をふっかけてくるばかりで埒があかないので、観光案内所に行く。DirectorのYanick Martinさんのおかげで、どうにか$50で往復の車が手配できた。ライトブラウンの肌をもつ彼女は、mulattoと呼ばれる白人との混血で、アフリカ系が人口の95%を占めるハイチでは少数派。幼少時にアメリカに移民したが、ハイチという国の魅力や人々の創造性の豊かさを国外に知らせたいと考えて、ハイチに戻って来てこの仕事をしているのだそうだ。

水陸両用車さながらに、車で川を渡り、すさまじい悪路を越え、1時間弱でBassins Bleuに到着。話に聞いて想像していたような真っ青な滝つぼとは異なり、青みがかかった緑色で少しがっかり。でもまぁそれなりに冒険気分を味わえたので満足。

川では人々が沐浴や洗濯だけでなく洗車までしている

Bassins Bleuに飛び込み!

Jacmelに戻り、町中をしばし散策した後、ホステルで一休み。ホステルで知り合ったLisienさんという自称ガイドから、3ヶ月に一度とり行われるブードゥー教のセレモニーが今夜あると聞き、午後8時から一緒に出かける。観光客などいない完全に地元の人たちの集会。ブードゥー教というとのろいやまじないなどの迷信のかたまりのようなイメージが流布しているが、この国の精神文化の根幹ともいえる大事な民間信仰。西アフリカから奴隷として連れて来られた彼らの祖先が伝えたアニミズムが、この地の先住民族であるタイノの人々の儀式や後にはカトリックの影響と混淆して今に至るもので、基本的にハイチ人の80%を占めるカトリックはみなブードゥーの信者とのこと(残りの20%はプロテスタント)。

ブードゥーの祭壇

会場についてから約2時間待つ間に、取っ組み合いの喧嘩が起きるなど不穏な雰囲気が漂うが、午後10時頃にどうやら無事にセレモニーが始まる。ドラムに合わせて祭司が歌う中で、赤や緑の衣をまとった信者たちが踊るというもので、朝まで続くのだそうだ。

踊っている人たちの中心で灯火とマイクを持っているのが祭司

12月20日 (木) 【ハイチ】

マイクロバスにすし詰めになって3時間でポルトプランスに戻ってくる。ポルトプランスの街中を走っていると目に付くのが、宝くじの販売所と携帯電話のカード販売の看板の多さ。この国のentrepreneurにとって、この二つが今ホットなbusiness opportunitiesになっているのだろうか。

宝くじは、一攫千金を夢見る庶民の娯楽なのだろうが、胴元である政府にとっては手軽な財源になる。一般に宝くじの購買額は所得・教育水準が低いほど多いと言われているから、正味にすると富の再分配には逆効果になるだろう。

ポルトプランスの中心部にある店の20軒に1軒は宝くじの販売所?

一方、携帯電話の普及は雇用促進や所得増加に貢献する社会的・経済的波及効果が大きいと言われているが、この国ではその効果は現れてきているのだろうか。因みに、ハイチの携帯電話市場はシェア一位がDigicel、二位がVoilaで、どちらもプリペイドカード方式。大体100 gourdes(約3米ドル)で40-50分くらい通話できるとのことだから、年間平均所得が400米ドル程度のハイチの人々にとっては決して安いサービスではないはずだが、相当普及しているように見受けられた。

DigicelとVoilaのプリペイドカード販売店の看板

携帯電話を持たない人たちのために、街頭で普通の電話機を改造して公衆携帯電話サービスを提供している業者がたくさんいる

一昨日にLe Plaza Hotelで知り合ったハイチ障害者協会の代表のLouis E. Metayerさんと昼食時間に会い、彼らの活動内容について話を聞かせてもらった。PC教育による収入創出活動や、micro-insurance事業などの活動を展開しており、海外での支援者開拓に是非協力して欲しいとのこと。micro-insuranceは私も興味のある分野であり、今後の協力の可能性について連絡を取りあうことを約束して分かれる。

空港に行き、午後4時にCap-Haitien行きの飛行機に乗る。30分で無事到着するが、荷物が出てこない。多分明日到着するだろうとのこと。

ドミニカ共和国&ハイチ旅行 - その2

12月17日 (月) 【ドミニカ共和国→ハイチ】

朝11時にハイチのPetionville行きのバスに乗り、午後4時前にドミニカ共和国-ハイチ国境に到着。国境を過ぎた途端に、ハゲ山が多く目に付く。農地確保と生活燃料である木炭を得るための森林伐採が深刻な問題になっているとは聞いていたが、ここまでひどいとは。樹木を失った土地は保水能力が低く、地すべりや洪水が起きやすい。同じサイクロンに襲われても、イスパニョーラ島の東のドミニカ共和国よりも西のハイチの方が被害がはるかに甚大になるのだそうだ。

ドミニカ共和国側とハイチの国境(Jimani側)

午後7時過ぎにPetionville到着。タクシーに乗り換え、ポルトプランスへ。治安の悪い国だけに、ちょっと高いけど安心できそうなLe Plaza Hotelにチェックイン。

12月18日 (火) 【ハイチ】

シテ・ソレイユ。西半球の最貧国ハイチでも特に貧困の問題が深刻なのが、首都ポルトプランスの太陽の町という名を持つスラム地域。昨夜夕食をテイクアウトしたレストランで知り合った若者の話によると、以前に比べ最近は治安も良くなったとのことだったので、可能ならば行って状況を見てみたいと考え、前職の誼をたよりに、情報収集のためにハイチ赤十字を訪ねた。国際赤十字赤新月社連盟から災害救援のため派遣されてきていたカナダ人から詳しい話を聞かせてもらうことができたが、最悪の時に比べれば確かに治安は改善しているが、いまだに武装勢力が跋扈する事実上の紛争地域とのことだったので、断念する。

ポルトプランスの市内を走るバスはとってもカラフル


午後2時にJacmel行きのバスに乗り、2時間山道を揺られて無事目的地に到着。 宿を探すが、値段の交渉で一苦労。この国の通貨の基本単位はgourdeだが、5 gourdesが1 Haitian dollarということになっているし、外国人相手には米ドルで値段を言ってくることもある。レートはおおよそ、USD 1 = 7 Haitian dollars = 35 gourdes。値段を交渉をしていると、今どの単位での話しをしているのか混乱してくる。レストランに入ってメニューを見ても、gourdeもHaitian dollarも米ドルも全て$マークで表されているので、確認が必要だ。