体調最悪の中、キャンセル料が惜しくて、抗生物質と痛み止めで体をだまして無理したせいか、このあと数日すさまじい頭痛で寝込んでしまいましたとさ。。
2009年8月29日土曜日
2009年8月23日日曜日
Kigali Memorial Center - その5
前回までで、キガリ虐殺記念館を訪ねて、あの大事件をこの国の人はどう解釈し、腹に落とそうとしているのかということについて考えたことを、一通り書いた。
ただ、そうした左脳で考えたこととは別に、虐殺の映像や、累々と横たわる死体の映像、実際の被害者の遺骨といったものを見ながら、私の右脳には全く異なった感覚が湧いていた。
誤解されることを恐れず言葉にするなら、「人間って、でも、そういうもんだよな」ということ。
もちろん、このような過ちを二度と繰り返さないようにしなければいけない、というのは本当にその通りだと思う。
しかし、人間は歴史上数限りない愚行を繰り返してきたし、これからも繰り返していくのだろう。争い、裏切り、殺し合いを続けていくのだろう。
常に向上心をもち、進歩を求めていくのも大事だが、現実というか原点を忘れてしまわないことも同様に大事ではないだろうか。
人工環境に囲まれ、ここ数百年で造られた常識に埋もれて生活していると、つい忘れてしまいがちになるけど、所詮は、人間も他のあらゆる生きとし生けるものと同じ - Born to die。
本来人間なんて野垂れ死にするのが当たり前。
生きがいだの、使命だの、自己実現だのと能書きたれたところで、最後には犬死に。そうと知りながらも生きる。そういうもんじゃないのかな。
ちょっと厭世的に聞こえるかもしれないけど、多分誰の中にもこうした感覚はあるはず。
それから目を背けず、それだけに囚われてしまわず、もりもりもりあがる雲へ歩む。
2009年8月22日土曜日
Kigali Memorial Center - その4
「ヨーロッパ人が人為的に分断するまで、元々フツもツチもなかったのだから、いがみ合い続ける理由は本来は無い」(←民族概念の人為性)
「他国で起きた集団虐殺と同様に、本当に悪いのは権力中枢にいた一部の首謀者たちで、虐殺に参加した一般のフツは踊らされていただけだ」(←他の集団虐殺との同質性)
民族を分ける身分証明書も廃止された。ルワンダ国際戦犯法廷も、国内の草の根裁判(Gacaca)も、全ての判決を終了した。公式にはフツもツチもなく、ただルワンダ人がいるだけということになり、国民が一致団結し、過去を払拭して社会の発展に邁進することが国是とされる中、今ではフツとかツチを分けて語ることさえほとんど社会的なタブーとなっている。
しかし、あれだけの惨事を水に流して和解するには、被害者も加害者もお互いに感情的しこりが大きすぎる。そこで、やり場に困る怒りの捌け口として登場する便利なスケープゴートが、「国際社会 (international community)」だ。
虐殺記念館の展示は、フランス軍がフツ政権や民兵組織を支援していたことや、国連が無力だったこと、そして国際機関や各国の要人が事件当時の対応の鈍さについて後になって遺憾の意を表したことなどについて大きなスペースを割いている。そこで繰り返し述べられているのは、「国際社会」が如何にこの悲劇を傍観し、意図的か否かに関らず事態を助長・悪化させたかである。
ツチの友人と話してみても、フツに対するコメントには抑制をきかせるが、「国際社会」に対しては怒りを隠そうとしない。それは、単なる傍観者に対する怒りというより、共犯者に対する怒りもしくはそれ以上のように聞こえる。
確かに、惨事を止めようとすれば止めることが「できたはず」の者が、全く救いの手を差し延べてくれないばかりか、見方によっては凶行の幇助をしたとあれば、怒りを感じるのは当然だろう。しかも、実行犯に対して直接怒りをぶつけることができない何らかの事情があれば、尚更のことだ。
しかし、共犯扱いされている「国際社会」とは一体何なのか。
国際政治について少しでも理解している人だったら、国連自体を非難してもほとんど意味の無いことは知っている。意志決定者である加盟国、その中でもこの場合は安保理の理事国がやれということを(官僚組織特有の非効率性や、時としてスキャンダルはあっても、基本的には忠実に)実行し、やるなということはやらないのが国連という組織だ。それ以上でもそれ以下でもない。
非難するとしたら、事件当時のフツ急進派臨時政権にも軍事的支援を継続したフランスや、虐殺が起きている最中に国連部隊から撤収したベルギー、ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)における介入義務を避けるため、「ジェノサイド」か「ジェノサイド的行為」かという言葉遊びを弄して安保理でリーダーシップを発揮しそこなった超大国アメリカということになるだろう。
しかし、フランスとは2006年に国交を断絶しているとはいえ、これら諸外国とは、内戦後の国家復興と経済発展のために大切なパートナーとして付き合っていく必要があり、名指しで恨み言をいうのは憚られる。そのために、「国際社会」という実体のない言葉が、選んで使われているということではないだろうか。
2009年8月21日金曜日
Kigali Memorial Center - その3
1994年からは15年の歳月が流れているが、いまだにルワンダと聞けばあの集団虐殺を真っ先に思い浮かべる人がほとんどではないだろうか。政府は「不幸な過去を乗り越え、未来に向かってダイナミックに発展しているアフリカの新興国」という対外イメージをつくりだし投資を誘致しようと懸命だが、ルワンダという国の名は、集団虐殺というキーワードと不可分な形で世界中の多くの人々の脳裡に焼き付いている。
これは、カンボジアやボスニアなどと比べても、さらに深刻な気がするのだが、なぜだろう。
アフリカ大陸の中央に位置する小国であるため、海外で集団虐殺以外のルワンダに関する情報に触れる機会が少ないというのは一つの理由だろう。しかし、それだけではない気がする。
私は、虐殺記念館を訪れてみて、自分自身の中にあったルワンダの集団虐殺に関するイメージの特殊性に気づいたのだが、多分これがもう一つの理由ではないか。
ナチスによるユダヤ人やジプシーの虐殺や、カンボジアのポルポト派による虐殺、ボスニア紛争時の民族浄化、その他思いつく限りの集団虐殺(genocide)の事例には、国・党・軍といった組織が介在していた。集団虐殺を企画・実行・扇動しようとするこれら組織の指導者の動機は、決して肯定されるべきではないにしても、理性である程度理解が可能なものだった。
これに対し、ルワンダの件に関しては、何か極めて自然発生的に、突然あれだけ大規模な殺戮が起きたというような漠然とした印象が流布しているように思う。私自身も、虐殺以前の政権による民族問題の政治化や、インテラハムエによる扇動といったことについては、ニュースで読んで知ってはいた。しかし、無意識のうちにそれらを副次的な情報として認識していて、事件全体の根本的な理解としては、民族間対立の原初的な感情に駆られて起きた大虐殺というイメージを持っていたのだと思う。そこには、アフリカでの事件ということで、正直に言って私の中に偏見もあったのだろうと反省した。
その理性では捉えきれない動機の得体の知れなさ、不気味さが、世界の多くの人の意識の中で、ルワンダの事件を他の集団虐殺から際立たせている大きな理由ではないだろうか。
しかし、虐殺記念館の展示を見て、ルワンダの虐殺がいかに前政権の中枢や軍によって意図的に準備され、組織的に扇動・幇助されていたかを再認識した。ハビャリマナ前大統領等の主導陣が、人口の10%以上を殺害してしまうような大量虐殺を元々企図していたのではなかったにしろ、彼らが作り出したフツ至上主義のプロパガンダ組織や民兵組織が、内戦と大統領暗殺という異常事態の中で暴走してしまった結果が、あの虐殺だった。
虐殺に参加した一般のフツも、その多くは社会的弱者である貧困層で、経済的報償や強制、それに恐怖やツチへの嫉妬といった様々な要因によって動員されたという。
実は、こうした解釈は、一般国民の融和を促進しようとし、また前政権を批判することで自らの正当性を主張したい現政権の利害にも合致している。
この虐殺記念館の一つの特徴が、二階にある他国での集団虐殺の事例に関する展示だ。Aegis FoundationというNPOの支援を受けて設立されたため、ここを訪問することでルワンダだけでなく他の地でも人間が歴史上行ってきた虐殺行為について知る機会にしてもらい、この国に限った異常な例ではなく人類が共通して抱える病いとして集団虐殺を理解して欲しいという意図も、そこにはあるだろう。しかし、ルワンダの虐殺を他の虐殺と同質のものとして説明することは、現政権にとっても都合が良い。
もちろん、こうした解釈を全て鵜呑みにすることは決してできないだろう。自発的な側面も無かったわけではないはずだ。
だが、100万人近くの人間を殺そうとすれば、その活動を組織だって行わなくては無理だということは、少し冷静に考えれば自明のことなのかもしれない。殺される側だって、無抵抗ではないし、団結して行動しようともする。殺す側も、自然に人間が持つ情を抑え、行動を正当化し、また圧倒的な武力を備える必要がある。やはり、合法的に暴力を独占する公権力とその組織が何らかの形で積極的に関らなくては、小規模な戦闘ではなくあれだけの集団虐殺になるという事態は、ちょっと考えにくい。
2009年8月20日木曜日
Kigali Memorial Center - その2
1. 「民族概念の人為性」という解釈
虐殺記念館の展示は、19世紀のヨーロッパ人の到来から語り始める。その前については、この地には一つの言語を話す一つの民族が平和に暮らしていたという設定で、プロローグ程度の極めて短い扱いだ。
そこにドイツ人が現れ、第一次大戦後はベルギー人がルワンダの統治者となる。もともとフツとかツチというのは、日本で言えば武士とか商人みたいに社会経済的階層でしかなかったのに、ベルギー人は分断統治のために、この二つのグループを異なる民族として扱い、少数派のツチを優遇する政策をとる。それまでフツとかツチというアイデンティティは希薄で、必ずしも固定したものでもなかったが、政府は財産の多寡だとか見た目の特長といった恣意的な基準で、人々をフツとツチと(あと先住民族のトゥワ ― 彼らは英語でTwa Pygmiesとも呼ばれるように、身長が低いなどフツやツチと明確に異なる身体的特長を持つ)に分け、身分証明書を持たせた。その過程では、家族の間でも違う民族に分けられることさえあったという。フツに対する差別的政策は、フツとツチとの間に深い溝を作り出し、後の民族間紛争の原因となった。
このように民族間(少なくともフツとツチの間)の違いはもともと無く、よそ者のベルギー人が人為的に作り出したものにすぎないというのが、公式解釈。映画の『ホテル・ルワンダ』でも、主人公が外国人に大体これに沿った説明をしているシーンがあった。
私自身、境界上の人間として、「日本人」とか「韓国人」とかいう概念を実体的に磐石不変のものとしてあるかのように捉える言説には違和感を感じることが多いのだが、このルワンダの民族観はその対極にあるといっていいだろう。
フツとツチの起源や違いについては、学者の間でも大きく意見が分かれているらしいので、素人の私が軽率にどうこう断定することができるものでもない。しかし、憶測にすぎないことを承知で言うならば、多分事実はその両極の間のどこかにあるのであろう。
トゥワ族が住んでいたこの地に、10-11世紀頃にフツ族がやってきて支配し、さらに15-16世紀頃にツチ族が移住してきて王国を築いたという従来の定説が、全くのでたらめでないとすれば、数百年の間に一つの言語を話すようになったというのだから、交流や混血は相当程度に進んでいたはずだし、そのアイデンティティも流動的だったり希薄だったりしたかもしれない。それでも、ルワンダの人に聞くと、フツとツチを外見で100%見分けることはできないが、だいたいの精度で推測することはできると言う。実体的差異が全くなかったところに、完全に人為的に民族概念が捏造されたというよりは、幾分かの実体があったところに、それを多分に恣意的に誇張・増幅したのがベルギーによる政策だったということではないだろうか。
しかし、「フツもツチも元来一緒で、民族間の確執は全て植民地時代の政策が作り出した幻想によって生まれたもの」というシンプルな解釈は、全ての国民が同じルワンダ人として過去を乗り越え、未来の発展へと向かわせるためにはとても有用だし、おさまりもよい。
2009年8月19日水曜日
Kigali Memorial Center - その1
「ルワンダに来た外国人で、ここに行かない人はいない」といわれるほどの観光スポットなので、外国人向けを主に意識した展示になっているのかなと思ったが、説明書きはまずルワンダ語で大きく、その下に小さな字でフランス語と英語の訳。
無理もない。この国を根底から揺るがした歴史的大事件であっただけに、自国民の中であの集団虐殺をどう記憶し消化するかは、国家建設においてこの上なく重要な問題だろう。
私は、解釈の介在しない歴史など無いと、考えている。これは何も、歴史は嘘と主観のかたまりであるとか、都合の良いこじつけの歴史修正主義を容認するとかいうことではない。
究明しうる限りの事実と、それらに基づいて語り手が伝えようとするメッセージとを、できるだけ無理なくつなげて、一つの構造物として組み立てるものが歴史という「物語」だとしたら、その作業には、唯一絶対のやり方など存在しない。解釈とは、全くの嘘とも完全に事実とも言い切れない、そういうグレーゾーンをつなぐセメントのようなもので、そこには事実の取捨選択と価値判断とが混ぜ合わさっている。
虐殺記念館での展示を見て、またその後ルワンダ人と話しをしながら、そうした歴史の解釈という行為について色々考えさせられた。
2009年8月15日土曜日
東アフリカの人々
某ウガンダ人曰く、「ケニア人は愛想がいいけど、腹の中で何考えてるかわからない」
某ルワンダ人曰く、「ウガンダ人とルワンダ人は兄弟みたいなもの」
某ケニア人曰く、「地頭の良さで言ったら、ケニア人はウガンダ人にかなわない」
某ルワンダ人曰く、「ルワンダ人は東アフリカで一番勤勉な国民」
某ウガンダ人曰く、「ルワンダ人には美形が多い」
↑ けど個人的には、確実にウガンダ人の方が美形が多いと思う。特にカンパラは、つい目が行ってしまうような美男美女の含有率が異常に高い。(いや、実際に目が行くのは美女だけなんですけどね。誤解なきよう。。)
2009年8月12日水曜日
50ヵ国目
ところでこのルワンダで、私が行ったことのある国(日本を含めて)が50ヵ国目になりました。やたらと多くの国に行けば良いってもんでもないですけど、やっぱりちょっとした感慨がありますね。
一部記憶がいい加減ですが、一応初めて行った順に、書き出してみました。
- 日本
- オーストラリア (海外デビューは大学一年の夏。。ちょっと遅め?)
- アメリカ
- 中国
- タイ
- カンボジア
- メキシコ
- スイス (大学院の時のインターンシップ)
- イタリア
- フランス
- ドイツ
- スペイン
- リヒテンシュタイン
- トルコ
- ギリシャ
- キプロス
- イギリス
- アイルランド
- カナダ
- 韓国 (大学院卒業するまで韓国に行ったことがなかった)
- シンガポール
- マレーシア
- インドネシア
- モンゴル
- ペルー (当時嫁さんが仕事してました)
- フィジー (国際赤十字の仕事での初任地)
- トンガ
- サモア
- バヌアツ
- ソロモン諸島
- クック諸島
- フィリピン
- ニュージーランド
- オランダ
- ミクロネシア連邦
- ミャンマー (国際赤十字の仕事での二つ目の任地)
- ベトナム
- ベルギー
- チェコ
- エクアドル (MBAのオリエンテーション旅行)
- ドミニカ共和国
- ハイチ
- タンザニア
- チリ
- アルゼンチン
- ウルグアイ
- ブラジル
- ケニア
- ウガンダ
- ルワンダ
2009年8月11日火曜日
ウガンダの起業家たち
1. 柏田雄一さん
月曜日にJICAを訪問した際に、Phenix Logistics (Uganda) Ltd.の柏田雄一社長に会って話を聞いてみたいという話をしたところ、いつも昼食どきに通っている場所があるとの情報を教えてくれた。急な話なのでアポイントメントを取るのは難しいが、今日あたりそこで張っていれば会える可能性が高いとのこと。
その場所というのが、カンパラ市内にある自宅のアパートの部屋でおいしい日本食の昼食を出してくれる鉄本さん宅。ウガンダに駐在している日本人の中では有名らしい。
JICAの職員の方に案内していただいて、鉄本さん宅へ。経営してる鉄本さんは、とても気さくなおばさん。イカの天ぷらやナス炒めなど久しぶりの昼食を美味しく頂いているところに、期待通り柏田さん登場。
ウガンダの繊維産業の第一人者ともいえる柏田さんの活躍については、日本で読んだ『アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書) 』で初めて知った。ウガンダ初日に訪れたUganda Investment Authorityでも、彼の名前が出てきた。おそらく、ウガンダで最も有名な日本人と言ってよいだろう。
昼食後にくつろぐ柏田雄一さん
アポなしの待ち伏せだというのに、嫌な顔一つせず、親切にこちらの質問に答えてくれた。
「特に途上国では、社会起業家と普通の起業家を区別しようとして、ほとんど意味がない」という人がいるが、柏田さんの話を聞いているとそれも一理あるなと思う。
ウガンダの経済を発展させるためには、日本やアジアの国々がそうしたように、まずは繊維産業という労働集約的な産業を成功させることこそが鍵になると信じて、幾つもの難局を乗り越えてきた。労働文化の違いには苦労させられながらも、現在はウガンダの良質なオーガニックコットンを武器に、安価な輸入品によって一度は壊滅しかけたこの国の繊維産業の建て直しのために奮闘している。
そこには、うわついた理想論や余計な気負いは全く感じられない。あるのは、この国の人々に、大統領に、必要とされているのだから、それに応えるため一肌脱ぐのは当然といった「侠気」と、自分のできることをやり通していく「仕事人」的なひたむきさ。このすがすがしいまでの実直さは、日本の戦後の経済発展を支えた世代の方に特有のものかもしれない。
「ウガンダは、ムセベニ大統領の下、極端なほどの自由主義経済政策をとっていて、外資の導入や持ち出しにオープン。ちゃんと現地の事情を理解し、一緒に袖をまくって仕事をする用意のある起業家・投資家には、良いビジネスの機会が沢山あるはずだ」と語ってくれた。
2. Keith Kalyegiraさん
Backbone Business Investment Servicesという会社を設立準備中のKeith Kalyegiraさんと会った。構想しているのは、アフリカの中小企業に投資しようと考えている人たち向けの支援サービス。簡単にいえば投資銀行が果たしている役割を、このセグメントでやろうということらしい。
Keithさんも、オランダにいる起業パートナーのAnne Stoelさんも、今はフルタイムの本職がある中の起業準備で、なかなか思うようには進捗していないみたい。
このビジネスを立ち上げ軌道に乗せるためのボトルネックは、どちらかというと投資家よりも、投資先の企業の方だと認識している様子が伺われた。借金には慣れているが、株式金融というとよく分からないし、疑心暗鬼になりがち… そういう中小企業の経営者を対象に、資本政策に関するセミナーを開いたり、株式による資金調達の利点を説明する記事を書いたりと、営業活動をしている。また、日俸$250-$500で中小企業のビジネスプランを書くコンサルタントとしても仕事を請け負うなどして、当初は地道にネットワークを広げる予定という。
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