2009年8月21日金曜日

Kigali Memorial Center - その3

2. 「他の集団虐殺との同質性」という解釈

1994年からは15年の歳月が流れているが、いまだにルワンダと聞けばあの集団虐殺を真っ先に思い浮かべる人がほとんどではないだろうか。政府は「不幸な過去を乗り越え、未来に向かってダイナミックに発展しているアフリカの新興国」という対外イメージをつくりだし投資を誘致しようと懸命だが、ルワンダという国の名は、集団虐殺というキーワードと不可分な形で世界中の多くの人々の脳裡に焼き付いている。

これは、カンボジアやボスニアなどと比べても、さらに深刻な気がするのだが、なぜだろう。

アフリカ大陸の中央に位置する小国であるため、海外で集団虐殺以外のルワンダに関する情報に触れる機会が少ないというのは一つの理由だろう。しかし、それだけではない気がする。

私は、虐殺記念館を訪れてみて、自分自身の中にあったルワンダの集団虐殺に関するイメージの特殊性に気づいたのだが、多分これがもう一つの理由ではないか。

ナチスによるユダヤ人やジプシーの虐殺や、カンボジアのポルポト派による虐殺、ボスニア紛争時の民族浄化、その他思いつく限りの集団虐殺(genocide)の事例には、国・党・軍といった組織が介在していた。集団虐殺を企画・実行・扇動しようとするこれら組織の指導者の動機は、決して肯定されるべきではないにしても、理性である程度理解が可能なものだった。

これに対し、ルワンダの件に関しては、何か極めて自然発生的に、突然あれだけ大規模な殺戮が起きたというような漠然とした印象が流布しているように思う。私自身も、虐殺以前の政権による民族問題の政治化や、インテラハムエによる扇動といったことについては、ニュースで読んで知ってはいた。しかし、無意識のうちにそれらを副次的な情報として認識していて、事件全体の根本的な理解としては、民族間対立の原初的な感情に駆られて起きた大虐殺というイメージを持っていたのだと思う。そこには、アフリカでの事件ということで、正直に言って私の中に偏見もあったのだろうと反省した。

その理性では捉えきれない動機の得体の知れなさ、不気味さが、世界の多くの人の意識の中で、ルワンダの事件を他の集団虐殺から際立たせている大きな理由ではないだろうか。

しかし、虐殺記念館の展示を見て、ルワンダの虐殺がいかに前政権の中枢や軍によって意図的に準備され、組織的に扇動・幇助されていたかを再認識した。ハビャリマナ前大統領等の主導陣が、人口の10%以上を殺害してしまうような大量虐殺を元々企図していたのではなかったにしろ、彼らが作り出したフツ至上主義のプロパガンダ組織や民兵組織が、内戦と大統領暗殺という異常事態の中で暴走してしまった結果が、あの虐殺だった。

虐殺に参加した一般のフツも、その多くは社会的弱者である貧困層で、経済的報償や強制、それに恐怖やツチへの嫉妬といった様々な要因によって動員されたという。

実は、こうした解釈は、一般国民の融和を促進しようとし、また前政権を批判することで自らの正当性を主張したい現政権の利害にも合致している。

この虐殺記念館の一つの特徴が、二階にある他国での集団虐殺の事例に関する展示だ。Aegis FoundationというNPOの支援を受けて設立されたため、ここを訪問することでルワンダだけでなく他の地でも人間が歴史上行ってきた虐殺行為について知る機会にしてもらい、この国に限った異常な例ではなく人類が共通して抱える病いとして集団虐殺を理解して欲しいという意図も、そこにはあるだろう。しかし、ルワンダの虐殺を他の虐殺と同質のものとして説明することは、現政権にとっても都合が良い。

もちろん、こうした解釈を全て鵜呑みにすることは決してできないだろう。自発的な側面も無かったわけではないはずだ。

だが、100万人近くの人間を殺そうとすれば、その活動を組織だって行わなくては無理だということは、少し冷静に考えれば自明のことなのかもしれない。殺される側だって、無抵抗ではないし、団結して行動しようともする。殺す側も、自然に人間が持つ情を抑え、行動を正当化し、また圧倒的な武力を備える必要がある。やはり、合法的に暴力を独占する公権力とその組織が何らかの形で積極的に関らなくては、小規模な戦闘ではなくあれだけの集団虐殺になるという事態は、ちょっと考えにくい。

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2 件のコメント:

  1. フツとツチがベルギーの分断統治の結果だとははじめて知りました。
    それにしてもフツの軍に、ツチを攻撃するどういうメリットが存在したのか知りたいところですね。

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  2. > scorpioさん

    亡命ツチ勢力によるルワンダ愛国戦線が90年にルワンダに侵攻して以来、内戦状態に陥っていました。その中で、反ツチのイデオロギーは、反対派を抑圧し、政権への求心力を高めるためにも都合よく使われたということだと思います。

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