体調最悪の中、キャンセル料が惜しくて、抗生物質と痛み止めで体をだまして無理したせいか、このあと数日すさまじい頭痛で寝込んでしまいましたとさ。。
2009年8月29日土曜日
2009年8月23日日曜日
Kigali Memorial Center - その5
前回までで、キガリ虐殺記念館を訪ねて、あの大事件をこの国の人はどう解釈し、腹に落とそうとしているのかということについて考えたことを、一通り書いた。
ただ、そうした左脳で考えたこととは別に、虐殺の映像や、累々と横たわる死体の映像、実際の被害者の遺骨といったものを見ながら、私の右脳には全く異なった感覚が湧いていた。
誤解されることを恐れず言葉にするなら、「人間って、でも、そういうもんだよな」ということ。
もちろん、このような過ちを二度と繰り返さないようにしなければいけない、というのは本当にその通りだと思う。
しかし、人間は歴史上数限りない愚行を繰り返してきたし、これからも繰り返していくのだろう。争い、裏切り、殺し合いを続けていくのだろう。
常に向上心をもち、進歩を求めていくのも大事だが、現実というか原点を忘れてしまわないことも同様に大事ではないだろうか。
人工環境に囲まれ、ここ数百年で造られた常識に埋もれて生活していると、つい忘れてしまいがちになるけど、所詮は、人間も他のあらゆる生きとし生けるものと同じ - Born to die。
本来人間なんて野垂れ死にするのが当たり前。
生きがいだの、使命だの、自己実現だのと能書きたれたところで、最後には犬死に。そうと知りながらも生きる。そういうもんじゃないのかな。
ちょっと厭世的に聞こえるかもしれないけど、多分誰の中にもこうした感覚はあるはず。
それから目を背けず、それだけに囚われてしまわず、もりもりもりあがる雲へ歩む。
2009年8月22日土曜日
Kigali Memorial Center - その4
「ヨーロッパ人が人為的に分断するまで、元々フツもツチもなかったのだから、いがみ合い続ける理由は本来は無い」(←民族概念の人為性)
「他国で起きた集団虐殺と同様に、本当に悪いのは権力中枢にいた一部の首謀者たちで、虐殺に参加した一般のフツは踊らされていただけだ」(←他の集団虐殺との同質性)
民族を分ける身分証明書も廃止された。ルワンダ国際戦犯法廷も、国内の草の根裁判(Gacaca)も、全ての判決を終了した。公式にはフツもツチもなく、ただルワンダ人がいるだけということになり、国民が一致団結し、過去を払拭して社会の発展に邁進することが国是とされる中、今ではフツとかツチを分けて語ることさえほとんど社会的なタブーとなっている。
しかし、あれだけの惨事を水に流して和解するには、被害者も加害者もお互いに感情的しこりが大きすぎる。そこで、やり場に困る怒りの捌け口として登場する便利なスケープゴートが、「国際社会 (international community)」だ。
虐殺記念館の展示は、フランス軍がフツ政権や民兵組織を支援していたことや、国連が無力だったこと、そして国際機関や各国の要人が事件当時の対応の鈍さについて後になって遺憾の意を表したことなどについて大きなスペースを割いている。そこで繰り返し述べられているのは、「国際社会」が如何にこの悲劇を傍観し、意図的か否かに関らず事態を助長・悪化させたかである。
ツチの友人と話してみても、フツに対するコメントには抑制をきかせるが、「国際社会」に対しては怒りを隠そうとしない。それは、単なる傍観者に対する怒りというより、共犯者に対する怒りもしくはそれ以上のように聞こえる。
確かに、惨事を止めようとすれば止めることが「できたはず」の者が、全く救いの手を差し延べてくれないばかりか、見方によっては凶行の幇助をしたとあれば、怒りを感じるのは当然だろう。しかも、実行犯に対して直接怒りをぶつけることができない何らかの事情があれば、尚更のことだ。
しかし、共犯扱いされている「国際社会」とは一体何なのか。
国際政治について少しでも理解している人だったら、国連自体を非難してもほとんど意味の無いことは知っている。意志決定者である加盟国、その中でもこの場合は安保理の理事国がやれということを(官僚組織特有の非効率性や、時としてスキャンダルはあっても、基本的には忠実に)実行し、やるなということはやらないのが国連という組織だ。それ以上でもそれ以下でもない。
非難するとしたら、事件当時のフツ急進派臨時政権にも軍事的支援を継続したフランスや、虐殺が起きている最中に国連部隊から撤収したベルギー、ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)における介入義務を避けるため、「ジェノサイド」か「ジェノサイド的行為」かという言葉遊びを弄して安保理でリーダーシップを発揮しそこなった超大国アメリカということになるだろう。
しかし、フランスとは2006年に国交を断絶しているとはいえ、これら諸外国とは、内戦後の国家復興と経済発展のために大切なパートナーとして付き合っていく必要があり、名指しで恨み言をいうのは憚られる。そのために、「国際社会」という実体のない言葉が、選んで使われているということではないだろうか。
2009年8月21日金曜日
Kigali Memorial Center - その3
1994年からは15年の歳月が流れているが、いまだにルワンダと聞けばあの集団虐殺を真っ先に思い浮かべる人がほとんどではないだろうか。政府は「不幸な過去を乗り越え、未来に向かってダイナミックに発展しているアフリカの新興国」という対外イメージをつくりだし投資を誘致しようと懸命だが、ルワンダという国の名は、集団虐殺というキーワードと不可分な形で世界中の多くの人々の脳裡に焼き付いている。
これは、カンボジアやボスニアなどと比べても、さらに深刻な気がするのだが、なぜだろう。
アフリカ大陸の中央に位置する小国であるため、海外で集団虐殺以外のルワンダに関する情報に触れる機会が少ないというのは一つの理由だろう。しかし、それだけではない気がする。
私は、虐殺記念館を訪れてみて、自分自身の中にあったルワンダの集団虐殺に関するイメージの特殊性に気づいたのだが、多分これがもう一つの理由ではないか。
ナチスによるユダヤ人やジプシーの虐殺や、カンボジアのポルポト派による虐殺、ボスニア紛争時の民族浄化、その他思いつく限りの集団虐殺(genocide)の事例には、国・党・軍といった組織が介在していた。集団虐殺を企画・実行・扇動しようとするこれら組織の指導者の動機は、決して肯定されるべきではないにしても、理性である程度理解が可能なものだった。
これに対し、ルワンダの件に関しては、何か極めて自然発生的に、突然あれだけ大規模な殺戮が起きたというような漠然とした印象が流布しているように思う。私自身も、虐殺以前の政権による民族問題の政治化や、インテラハムエによる扇動といったことについては、ニュースで読んで知ってはいた。しかし、無意識のうちにそれらを副次的な情報として認識していて、事件全体の根本的な理解としては、民族間対立の原初的な感情に駆られて起きた大虐殺というイメージを持っていたのだと思う。そこには、アフリカでの事件ということで、正直に言って私の中に偏見もあったのだろうと反省した。
その理性では捉えきれない動機の得体の知れなさ、不気味さが、世界の多くの人の意識の中で、ルワンダの事件を他の集団虐殺から際立たせている大きな理由ではないだろうか。
しかし、虐殺記念館の展示を見て、ルワンダの虐殺がいかに前政権の中枢や軍によって意図的に準備され、組織的に扇動・幇助されていたかを再認識した。ハビャリマナ前大統領等の主導陣が、人口の10%以上を殺害してしまうような大量虐殺を元々企図していたのではなかったにしろ、彼らが作り出したフツ至上主義のプロパガンダ組織や民兵組織が、内戦と大統領暗殺という異常事態の中で暴走してしまった結果が、あの虐殺だった。
虐殺に参加した一般のフツも、その多くは社会的弱者である貧困層で、経済的報償や強制、それに恐怖やツチへの嫉妬といった様々な要因によって動員されたという。
実は、こうした解釈は、一般国民の融和を促進しようとし、また前政権を批判することで自らの正当性を主張したい現政権の利害にも合致している。
この虐殺記念館の一つの特徴が、二階にある他国での集団虐殺の事例に関する展示だ。Aegis FoundationというNPOの支援を受けて設立されたため、ここを訪問することでルワンダだけでなく他の地でも人間が歴史上行ってきた虐殺行為について知る機会にしてもらい、この国に限った異常な例ではなく人類が共通して抱える病いとして集団虐殺を理解して欲しいという意図も、そこにはあるだろう。しかし、ルワンダの虐殺を他の虐殺と同質のものとして説明することは、現政権にとっても都合が良い。
もちろん、こうした解釈を全て鵜呑みにすることは決してできないだろう。自発的な側面も無かったわけではないはずだ。
だが、100万人近くの人間を殺そうとすれば、その活動を組織だって行わなくては無理だということは、少し冷静に考えれば自明のことなのかもしれない。殺される側だって、無抵抗ではないし、団結して行動しようともする。殺す側も、自然に人間が持つ情を抑え、行動を正当化し、また圧倒的な武力を備える必要がある。やはり、合法的に暴力を独占する公権力とその組織が何らかの形で積極的に関らなくては、小規模な戦闘ではなくあれだけの集団虐殺になるという事態は、ちょっと考えにくい。
2009年8月20日木曜日
Kigali Memorial Center - その2
1. 「民族概念の人為性」という解釈
虐殺記念館の展示は、19世紀のヨーロッパ人の到来から語り始める。その前については、この地には一つの言語を話す一つの民族が平和に暮らしていたという設定で、プロローグ程度の極めて短い扱いだ。
そこにドイツ人が現れ、第一次大戦後はベルギー人がルワンダの統治者となる。もともとフツとかツチというのは、日本で言えば武士とか商人みたいに社会経済的階層でしかなかったのに、ベルギー人は分断統治のために、この二つのグループを異なる民族として扱い、少数派のツチを優遇する政策をとる。それまでフツとかツチというアイデンティティは希薄で、必ずしも固定したものでもなかったが、政府は財産の多寡だとか見た目の特長といった恣意的な基準で、人々をフツとツチと(あと先住民族のトゥワ ― 彼らは英語でTwa Pygmiesとも呼ばれるように、身長が低いなどフツやツチと明確に異なる身体的特長を持つ)に分け、身分証明書を持たせた。その過程では、家族の間でも違う民族に分けられることさえあったという。フツに対する差別的政策は、フツとツチとの間に深い溝を作り出し、後の民族間紛争の原因となった。
このように民族間(少なくともフツとツチの間)の違いはもともと無く、よそ者のベルギー人が人為的に作り出したものにすぎないというのが、公式解釈。映画の『ホテル・ルワンダ』でも、主人公が外国人に大体これに沿った説明をしているシーンがあった。
私自身、境界上の人間として、「日本人」とか「韓国人」とかいう概念を実体的に磐石不変のものとしてあるかのように捉える言説には違和感を感じることが多いのだが、このルワンダの民族観はその対極にあるといっていいだろう。
フツとツチの起源や違いについては、学者の間でも大きく意見が分かれているらしいので、素人の私が軽率にどうこう断定することができるものでもない。しかし、憶測にすぎないことを承知で言うならば、多分事実はその両極の間のどこかにあるのであろう。
トゥワ族が住んでいたこの地に、10-11世紀頃にフツ族がやってきて支配し、さらに15-16世紀頃にツチ族が移住してきて王国を築いたという従来の定説が、全くのでたらめでないとすれば、数百年の間に一つの言語を話すようになったというのだから、交流や混血は相当程度に進んでいたはずだし、そのアイデンティティも流動的だったり希薄だったりしたかもしれない。それでも、ルワンダの人に聞くと、フツとツチを外見で100%見分けることはできないが、だいたいの精度で推測することはできると言う。実体的差異が全くなかったところに、完全に人為的に民族概念が捏造されたというよりは、幾分かの実体があったところに、それを多分に恣意的に誇張・増幅したのがベルギーによる政策だったということではないだろうか。
しかし、「フツもツチも元来一緒で、民族間の確執は全て植民地時代の政策が作り出した幻想によって生まれたもの」というシンプルな解釈は、全ての国民が同じルワンダ人として過去を乗り越え、未来の発展へと向かわせるためにはとても有用だし、おさまりもよい。
2009年8月19日水曜日
Kigali Memorial Center - その1
「ルワンダに来た外国人で、ここに行かない人はいない」といわれるほどの観光スポットなので、外国人向けを主に意識した展示になっているのかなと思ったが、説明書きはまずルワンダ語で大きく、その下に小さな字でフランス語と英語の訳。
無理もない。この国を根底から揺るがした歴史的大事件であっただけに、自国民の中であの集団虐殺をどう記憶し消化するかは、国家建設においてこの上なく重要な問題だろう。
私は、解釈の介在しない歴史など無いと、考えている。これは何も、歴史は嘘と主観のかたまりであるとか、都合の良いこじつけの歴史修正主義を容認するとかいうことではない。
究明しうる限りの事実と、それらに基づいて語り手が伝えようとするメッセージとを、できるだけ無理なくつなげて、一つの構造物として組み立てるものが歴史という「物語」だとしたら、その作業には、唯一絶対のやり方など存在しない。解釈とは、全くの嘘とも完全に事実とも言い切れない、そういうグレーゾーンをつなぐセメントのようなもので、そこには事実の取捨選択と価値判断とが混ぜ合わさっている。
虐殺記念館での展示を見て、またその後ルワンダ人と話しをしながら、そうした歴史の解釈という行為について色々考えさせられた。
2009年8月15日土曜日
東アフリカの人々
某ウガンダ人曰く、「ケニア人は愛想がいいけど、腹の中で何考えてるかわからない」
某ルワンダ人曰く、「ウガンダ人とルワンダ人は兄弟みたいなもの」
某ケニア人曰く、「地頭の良さで言ったら、ケニア人はウガンダ人にかなわない」
某ルワンダ人曰く、「ルワンダ人は東アフリカで一番勤勉な国民」
某ウガンダ人曰く、「ルワンダ人には美形が多い」
↑ けど個人的には、確実にウガンダ人の方が美形が多いと思う。特にカンパラは、つい目が行ってしまうような美男美女の含有率が異常に高い。(いや、実際に目が行くのは美女だけなんですけどね。誤解なきよう。。)
2009年8月12日水曜日
50ヵ国目
ところでこのルワンダで、私が行ったことのある国(日本を含めて)が50ヵ国目になりました。やたらと多くの国に行けば良いってもんでもないですけど、やっぱりちょっとした感慨がありますね。
一部記憶がいい加減ですが、一応初めて行った順に、書き出してみました。
- 日本
- オーストラリア (海外デビューは大学一年の夏。。ちょっと遅め?)
- アメリカ
- 中国
- タイ
- カンボジア
- メキシコ
- スイス (大学院の時のインターンシップ)
- イタリア
- フランス
- ドイツ
- スペイン
- リヒテンシュタイン
- トルコ
- ギリシャ
- キプロス
- イギリス
- アイルランド
- カナダ
- 韓国 (大学院卒業するまで韓国に行ったことがなかった)
- シンガポール
- マレーシア
- インドネシア
- モンゴル
- ペルー (当時嫁さんが仕事してました)
- フィジー (国際赤十字の仕事での初任地)
- トンガ
- サモア
- バヌアツ
- ソロモン諸島
- クック諸島
- フィリピン
- ニュージーランド
- オランダ
- ミクロネシア連邦
- ミャンマー (国際赤十字の仕事での二つ目の任地)
- ベトナム
- ベルギー
- チェコ
- エクアドル (MBAのオリエンテーション旅行)
- ドミニカ共和国
- ハイチ
- タンザニア
- チリ
- アルゼンチン
- ウルグアイ
- ブラジル
- ケニア
- ウガンダ
- ルワンダ
2009年8月11日火曜日
ウガンダの起業家たち
1. 柏田雄一さん
月曜日にJICAを訪問した際に、Phenix Logistics (Uganda) Ltd.の柏田雄一社長に会って話を聞いてみたいという話をしたところ、いつも昼食どきに通っている場所があるとの情報を教えてくれた。急な話なのでアポイントメントを取るのは難しいが、今日あたりそこで張っていれば会える可能性が高いとのこと。
その場所というのが、カンパラ市内にある自宅のアパートの部屋でおいしい日本食の昼食を出してくれる鉄本さん宅。ウガンダに駐在している日本人の中では有名らしい。
JICAの職員の方に案内していただいて、鉄本さん宅へ。経営してる鉄本さんは、とても気さくなおばさん。イカの天ぷらやナス炒めなど久しぶりの昼食を美味しく頂いているところに、期待通り柏田さん登場。
ウガンダの繊維産業の第一人者ともいえる柏田さんの活躍については、日本で読んだ『アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書) 』で初めて知った。ウガンダ初日に訪れたUganda Investment Authorityでも、彼の名前が出てきた。おそらく、ウガンダで最も有名な日本人と言ってよいだろう。
昼食後にくつろぐ柏田雄一さん
アポなしの待ち伏せだというのに、嫌な顔一つせず、親切にこちらの質問に答えてくれた。
「特に途上国では、社会起業家と普通の起業家を区別しようとして、ほとんど意味がない」という人がいるが、柏田さんの話を聞いているとそれも一理あるなと思う。
ウガンダの経済を発展させるためには、日本やアジアの国々がそうしたように、まずは繊維産業という労働集約的な産業を成功させることこそが鍵になると信じて、幾つもの難局を乗り越えてきた。労働文化の違いには苦労させられながらも、現在はウガンダの良質なオーガニックコットンを武器に、安価な輸入品によって一度は壊滅しかけたこの国の繊維産業の建て直しのために奮闘している。
そこには、うわついた理想論や余計な気負いは全く感じられない。あるのは、この国の人々に、大統領に、必要とされているのだから、それに応えるため一肌脱ぐのは当然といった「侠気」と、自分のできることをやり通していく「仕事人」的なひたむきさ。このすがすがしいまでの実直さは、日本の戦後の経済発展を支えた世代の方に特有のものかもしれない。
「ウガンダは、ムセベニ大統領の下、極端なほどの自由主義経済政策をとっていて、外資の導入や持ち出しにオープン。ちゃんと現地の事情を理解し、一緒に袖をまくって仕事をする用意のある起業家・投資家には、良いビジネスの機会が沢山あるはずだ」と語ってくれた。
2. Keith Kalyegiraさん
Backbone Business Investment Servicesという会社を設立準備中のKeith Kalyegiraさんと会った。構想しているのは、アフリカの中小企業に投資しようと考えている人たち向けの支援サービス。簡単にいえば投資銀行が果たしている役割を、このセグメントでやろうということらしい。
Keithさんも、オランダにいる起業パートナーのAnne Stoelさんも、今はフルタイムの本職がある中の起業準備で、なかなか思うようには進捗していないみたい。
このビジネスを立ち上げ軌道に乗せるためのボトルネックは、どちらかというと投資家よりも、投資先の企業の方だと認識している様子が伺われた。借金には慣れているが、株式金融というとよく分からないし、疑心暗鬼になりがち… そういう中小企業の経営者を対象に、資本政策に関するセミナーを開いたり、株式による資金調達の利点を説明する記事を書いたりと、営業活動をしている。また、日俸$250-$500で中小企業のビジネスプランを書くコンサルタントとしても仕事を請け負うなどして、当初は地道にネットワークを広げる予定という。
ご訪問の度にどうか応援クリックおねがいします!!
2009年8月9日日曜日
マイクロ・ベンチャーキャピタル
1. TechnoServe Uganda
ケニアに続いてウガンダでもTechnoServeを訪れる。ウガンダオフィスの代表はErastus Kibuguさん。
社会投資ファンドを立ち上げたいという話をすると、「アキュメンファンドとか随分注目を集めているが、欧米のプライベートイクイティとかベンチャーキャピタルのやり方をそのまま持って来ようとすることには、正直懐疑的だ」との反応。
「IFCが主導するEast Africa Agribusiness Accelerator Program等を通して、African Agricultural FundやActisなどのファームとも協力してうまくやっているから、あまり悪口みたいなことは言いたくないが」と前置きした上で、
「彼らが欧米のスタンダードで要求する書類、レポート、データが整っているような会社をアフリカで探すのは難しい。中小企業やベンチャーではなおさらだし、そうした情報管理体制が整っているのは大企業で、資本調達に困っていない場合が多い」
「投資先となるアフリカの企業経営者から見たら、アキュメンを含むPEやVCは、非現実的な要求を突きつけるだけで、現地のビジネスカルチャーを理解していないと思われている。また、過度に安全志向で、反応が遅く、硬直的だとして敬遠されてしまう」
「彼らがアフリカのビジネス環境に良い影響をもたらしているとは思うが、今のやり方のままでは、極めて小さいニッチを埋める存在にとどまり、大きなインパクトを生み出すことはできないとおもう」
と考えを語ってくれた。
確かに、これまで見てきたファンドの中で、特に社会的リターンと経済的リターンのダブルボトムラインを謳うところは、ほとんど皆ファンドの規模も10億円以下と大きくないし、財団や政府系の資金源だけに頼っているのが現実だ。
私も、これまで色々と社会起業家たちと会って、「ベンチャーキャピタル的な資金+経営支援というサービスに対するニーズは大きそうだけど、一番深刻な大きなニーズがあるセグメントに向けてサービスを提供し、採算もとれるようにしようとすると、通常のファンドの運営のやり方そのままでは駄目だ」と考えていたので、どうすれば投資先の国々の現状に合致しながら、コスト効率よくリスクを押さえ、投資効果を高めることができるのかという問題について話が弾む。
本当に社会を変えるようなインパクトを生み出そうとするならば、
- 一般のPEやVCがこれまで対象としていた案件よりも投資規模の小さいベンチャーや中小企業も対象にできるモデルをつくる
- 資金だけでなく、財政政策や組織設計に関するコンサルティングまで含め踏み込んだ経営支援を行う
- 投資先企業やファンドに過剰な負荷(コスト、人力)をかけることなく、投資家側の情報、リスク管理へのニーズを充たす方法を編み出す
コストを抑えながら投資効果を挙げる方策として、例えばErastusさんの提案してくれたアイデアは、
- まず投資する有望な産業を選び、そのセクターに合致する企業を集めて、集団選考会を行う
- TechnoServeなどの、現地のベンチャーや中小企業支援のノウハウと実績を持つ機関と組んで、ソーシング、スクリーニング、トレーニングの部分をアウトソースする
マイクロファイナンスが普及する以前、銀行は、担保も用意できず収入も低い貧困層の顧客への融資など、リスクが高すぎて採算がとれないと考えていた。
そこに、マイクロファイナンスは、
- 担保の代わりに社会的信用という貧困層の顧客が持っている「資産」を活用し(グループレンディング)、さらにローンオフィサーが村々を巡回して借り手との関係を強めることで、リスクを押さえ、
- そのために管理コストが増える分については、金利を高く設定して回収する
ベンチャーキャピタルも、顧客のニーズと現実に合わせて、新しいやり方、つまり「マイクロ・ベンチャーキャピタル」とも言うべきモデルを開発する必要があるのではないか。
今のところ、「マイクロ・ベンチャーキャピタル」として知られている例としては、インドのAavishkaarや、中米で活動するAgora Partnershipsがあるが、Erastusさんが指摘したような問題をどの程度克服できているのかは不明。
2. BROSDI
SMSを使った農村向け情報網の構築で実績を挙げているBROSDIのChairpersonのVincent Bagiireさんと会う。Googleと提携したり、来年には農村開発研究センターを立ち上げて海外の研究者の受けいれによって収入をあげようと計画しているなど、持続可能な活動を行っていくために色々と模索中の様子。
彼の事業も、寄付に頼らないビジネスにしようと思えば、やりようがあるはず。農村向け情報配信のインフラを作り上げ、顧客網を広げていけば、それを利用して自社の情報を流すためにお金を払う企業も出てくると思うが。
ご訪問のたびに上のアイコンをクリックおねがいします!!
債権か株式か
次の訪問先は、カンパラ郊外のMbuya地区にオフィスがあるAfrican Agricultural Fund。
ちょっと時間があったので、同じMbuyaにあるReach Out Mbuya HIV/AIDS Initiativeを見学。
スラム地区の約3000人のHIV/AIDS患者に、診療サービスを提供するだけでなく、裁縫・手工芸などの仕事も提供する。ボランティアの70%はHIV/AIDS患者自身で、彼らが看護、ソーシャルワーカー、教師役を担って自分達の手でこのコミュニティを支えている。
African Agricultural Capitalは、東アフリカの農業関連ベンチャーへの投資に特化したベンチャーキャピタル・ファンド。Rockefeller FoundationとGatsby Charitable Foundation、それにVolksvermogen NV というベルギーの信用金庫の出資によって2005年に設立された。
当初資本は約7億円で、これまでケニア、タンザニア、ウガンダの16の企業(内、ベンチャーは3件で、あとは中小企業)に6億円を投資している。最初の投資案件を見つけるのに一年もかかったとか。
投資先は大体年商5000万円から3億円の規模の企業で、1500万円~1,5億円程度の投資をする。期間は凡そ6年。
社会的リターンと経済的リターンの両方を追求するが、経済的リターンについては赤字にならなければ良いという程度のようだ。Managing DirectorのTom Adlamさんは、「0.01%の利益でも、利益は利益だからね」と言っていた。融資は利率9%、株式投資は年率15%のリターン(ともに米ドルベース)を目安としている。ウガンダの現在のプライムレートが15.5%だから、市場水準より低いレートの設定になっている。
現在のところ投資チームは3名と小規模。目下、20-40億円程度の新しい資金を調達するため営業中。
債権投資の場合も株式投資の場合も、Tomさんが投資先企業の取締役会に入る。だが、ガバナンスや組織体制、システムの整備などについてある程度アドバイスをする他は、年2回のミーティングに出席したり、四半期レポートを見て質問をしたり、時に監査役を指名したりといった程度で、積極的に経営に関与しているという様子ではなかった。
ここでも、アフリカのベンチャーや中小企業では株式投資に懐疑的という話を聞いた。当初は、投資資金の配分を株40%、債権60%とする予定だったが、実際には20%対80%の割合になっているとの事。
投資先企業の事業ポテンシャルを最大限発揮することが可能にするためには、投資家が投資先企業とともにリスクをとる株式投資のほうが、債権投資より望ましいとして、株式投資にこだわる人が多いが、投資先企業が求めていないものを押し付けるわけにはいかないだろう。
まずは、債権で関係をはじめて、信頼を醸成するとともに財政政策に対する理解を向上させ、その後これはという投資先に株式投資というのが、一番現実的な方法ではないか。
25位圏内定着を目指していますので、上のアイコンを毎回クリックしてくださいね!
2009年8月8日土曜日
GroFin Uganda: 援助と投資
「途上国の発展に必要なのは、援助か投資か」、という議論が最近また盛んになっている。
これについて、アフリカ中に投資しているGroFinのウガンダオフィス代表にこの6月に就任したばかりのWalter Ogwalさんは、「Don't throw the baby out with the bathwater(大切なものを、捨てるべきものと一緒にして捨ててしまってはならない)」と語る。
援助のやり方が悪くて、被援助国の経済やその政府・市民のインセンティブを歪めてしまい、かえって発展の妨げになるという事例は確かに多い。しかし、だからといって、すべての援助を悪者扱いするのは間違っている。
援助もやり方次第であり、角を矯めて牛を殺すようなことをしてはならない。援助と投資は単純な二分論で考えるべきではなく、両者をうまく補完しあいながら使うことで、完全な商業資本の投資だけでは到底解決できない問題を解決することができる。
- GroFinでは、"Support beyond finance"というモットーを掲げているとおり、資金提供をする前の段階から、中小企業に欠けているファイナンスの知識を補完するため、資本構成の設計に関するコンサルティングを行い、また資金提供後もキメ細やかな経営支援を提供することに力を入れている
- 資金提供のやり方も、アップサイドが限られているけれど中小企業の経営者が理解しやすい長期の債権投資(debt investment)が主で、株式投資(equity investment)はあくまで投資先企業の要望がある時のみ行う。株式投資は現在ポートフォリオの20%未満
- その他に、成果報酬というかたちで、投資先企業の業績向上に連動して収益が得られる仕組みも用いて、投資先企業とファンドがリスクを共有するようにしている
- 投資先は、マイクロファイナンスが対象とする個人事業よりは大きいが、年収規模5億円以下、総資産規模3億円以下、従業員100人以下という中小企業。債務返済経歴が3年以上あることが望ましいが、全く新規のベンチャーも対象とする。担保は必須条件ではない
- 投資規模はだいたい一件当たり500万円から1億円程度だが、それ以上になることもある。ウガンダではこれまで約30社に投資している
- 投資期間は6年以下で、だいたい3-5年
- 債務の年利率は、成長性、リスク(←担保の有無、マネジメントの質、債務返済経歴、カントリーリスク, etc.)、リスクフリー利率、予想為替レート、予想インフレ率を勘案して個々に決めるが、銀行(25%の上下)より高め、マイクロファイナンス(35%程度)より低めに設定
中小企業向けのプライベートイクイティがあまり振るわないのも、規模の大きなディールと比べてかかる労力は大して変わらないのに、リターンが小さいから。 比較的human capitalやsocial capitalの重要性の比重が高いといわれるベンチャーキャピタルでさえ、その実情は単なるファイナンス屋というところも多いと聞く。
そうしたファンドが善いとか悪いとかの問題ではなく、彼らが使っている資本が純粋な商業資本であり、より少ない労力で効率よく利益を上げることを追求するようにインセンティブの構造が出来上がっている以上、このような流れになるのは当然というべきだ。
援助的色彩を持つ投資という、GroFinのユニークなビジネスモデルは、純粋な援助資本でも純粋な商業資本でもない、「開発を目的とした投資」という価値観を共有する機関・投資家から資金を集めているからこそ可能になっていると言えるだろう。
最後に、先進国における投資と比べて、途上国投資の特に難しい点として、Walterさんが挙げてくれたのが、
- 投資先企業、業界、マーケットに関する情報・データの不足
- 資本市場の未整備による資金調達の困難
- 不明瞭かつ矛盾する法規制
- 戦略マインドや経営スキルを持った人材の不足
2009年8月6日木曜日
ウガンダの米 - その2
土曜日に会ったShakaさんの活動地域で、JICAが「東部ウガンダ持続型灌漑農業開発計画」というプロジェクトを行っていると聞き、JICAを訪れた。
対応してくれたのは担当のFさんで、親切にプロジェクトのことやウガンダのコメ産業について色々と教えてもらった。
「専門家の話によると、コメというのは、脱穀機などの設備の大型化が難しかったり、頻繁に買い換えなければいけなくなったりで、どうも単純な規模の経済が効き辛い作物らしいんですよ」とか、「仲買人が買い叩いているっていうのも、どこまで本当なのか分からない」といった話が聞け、Shakaさんのビジネスプランはやっぱりそんなにすんなりできそうなものではない気がした。
ただ、ウガンダの土壌は地味豊かで、コメの増産のポテンシャルは十分にあり、作って流通させるしくみさえ整えば、ウガンダの国内だけでなく、周辺地域でも需要は大きいというのは、概ねShakaさんの言っていた通りのようだ。
うーん、農業とその周辺ビジネスは今まであまり関わりがなかったけど、アフリカで社会性のあるビジネスに投資して育てるという話だと、このトピックはやはり重要だなー。
"The Study On Poverty Eradication Through Sustainable Irrigation Project In Eastern Uganda" (2007)というレポートがJICAから出ているので、読んでみるように勧められた。(けど、ネット上でダウンロードはできないみたい)
飛び入り歓迎!
夕方は、国立劇場の外で毎週月曜開かれるという、地元のミュージシャン達のジャムセッションを聞きに行く。
2009年8月5日水曜日
ナイル川の源流でナイルビールを飲む
ウガンダの米
朝ぶらっと市場を歩いているとすぐさま日本語で「コナアルヨ」と話しかけられた。カンパラはナイロビに比べ、ずっと治安が良いと聞いていたんだけど。。
Shaka Robertさん@Tourist Hotel
昼過ぎ、Ahoka FellowのShaka Robertさん(Shakaが姓)と会う。
彼は現在34才だが、波乱万丈の人生を送ってきている。6才の時内戦が勃発し、少年兵として徴発される。現ルワンダ大統領のPaul Kagameとも戦場で同じ釜の飯を食べた。現ウガンダ大統領のYoweri Museveniのはからいで、91年大学に入学し生化学を学ぶ。続いて大学院で情報システム論を学び、アメリカでネットワーク工学の専門家として仕事をした後、2004年にウガンダでthe Rockford Harris Groupを起業。
現在の事業内容は、ビジネスや農業の専門家がボランティアとして農村開発のためアドバイスや情報交換をできるためのプラットフォームを提供するというもの。Butaleja、Tororo、Pallisa、Busia、Budakaの東部5県で約30000世帯の農家のネットワークを築き、農協設立などに実績を上げているという。
彼が次の展開として狙っているのは、精米と販売のビジネス。仲買人に買い叩かれている農家からより高い価格で米を買い付け、質の良い米を販売する。現在の細分化されている仲買、精米、流通を一気通貫で行い、また砕け米や石混じりが多くて安値で売られている米の品質を向上することで、付加価値を取りに行く。市場としては、米の需要過多で輸入に頼っているウガンダ国内はもちろん、ケニア、ルワンダ、スーダン南部、コンゴ民主共和国東部までも視野に入れた流通網構築を目指している。
既にオランダのベンチャーキャピタリストなどと話しはしているようだが、まだ具体的な投資には結びついていないとの事。とりあえず、自分が持つ不動産を担保に、銀行から1200万円ほど融資を受けて事業を始め、実現可能性を立証した上で、また事業拡大資金の調達を考えるつもりだそうだ。
彼自身は頭の回転も早く、壮大な構想を持っていることは分かる。ちょっと正直言って現実味が今一つ感じられなかったが、もうちょっといろいろこの市場について自分で調べてみようという興味は湧いてきた。
2009年8月4日火曜日
ウガンダへ
運転手席から絶えず流れる大音量の音楽のため、夜行バスの中ではあまり熟睡できず。昨夜7時半にナイロビを発ち、国境での手続きにかかった1時間半を含め、約12時間でウガンダの首都カンパラに到着。
ホテルの窓から見たNakasero市場
前日ネットで予約しておいたナカセロ市場のすぐそばにあるTourist Hotelにチェックインし、すぐUganda Investment Authorityに向かう。
Deputy Executive DirectorのTom Burungurizaさんとミーティング。つい最近、商社や製薬会社など日本の企業から派遣された大規模な視察団が訪れたばかりとの事。中国からもビジネスチャンスを探して、ビジネスマンが引きもきらず彼のオフィスを訪れるそうだ。「最近はすっかり売り手市場ですよ」と随分余裕ありげ。
時間が限られていたこともあって、あまり突っ込んだ話はできなかったが、ウガンダ政府が特に外資誘致に力を入れている産業分野について一通り話を聞く。
- 資源 (エネルギー・鉱業と石油精製やパイプラインなどの周辺分野)
- 繊維・衣服 (特にオーガニック・コットン)
- ICTおよびコールセンターなどのアウトソーシング
- 観光
- 農業およびアグリビジネス
やはり、ここでもとくに農産物の単純な輸出から加工に進出してより付加価値を加える必要があるという話を特に強調していた。
昨年タンザニアにも一緒に行ったKala ParamoutainさんがGlobal Health Initiativeのプロジェクトでカンパラに滞在しているので、夕方彼女とGHIの仲間たちと会う。ウガンダはHIV/AIDS対策における数少ない成功例なので、彼女たちには興味深い調査対象だろう。近況報告などを一通りしたあとは、夕食を食べながら、ケロッグの話や男女の違いの話など他愛もない話題で歓談。
上のアイコンをクリックして、是非応援おねがいします!!
2009年8月3日月曜日
食べられる土を食べられなかった話
ナイロビの下町を歩いていて小腹がすいたので、軽いスナックでも買おうと思ってスーパーに立ち寄った。
ラベルには「Udongo 」って書いてある。石?岩塩?
原材料は、単に「Edible Soil」って…えっ?食べられるつち…食用土??
ちゃれんじゃー(ってか単なるゲテモノ食い)の血が騒ぐ。早速買って試してみる。100グラムで17ケニアシリング(約25円)。
ちょっとワクワクしながら口に入れてみた。
- 食感=土
- 味=土
- 香り=土
それでも、「食べ物」を粗末にしちゃいけないと思って、しばらく口の中で舐めたり少しかんだりしてたけど、どんどんジャリジャリ度が増し、土のにおいが鼻腔を充たしたところでギブアップ。 飲み込めずに吐き出してしまった。
世界中のたいがいの食べ物は、文句言わずありがたく頂く自信があるけど、これには参りました。オーストラリアで初めて食べたガソリンの塊のようなリコリッシュ以来の完敗。
ラベルを見直してみると「Rich in Iron & Calcium(鉄分とカルシウムが豊富に含まれています)」って書いてある。ミネラル豊富っていうより、ミネラルそのものですがな。
何かおいしくいただく料理法とかあるのかな、と思ってケニア人に聞いてみたところ、やはりそのまま食べるものだそうだ。特に妊婦さんには良いのだとか。
SVPの営利版のようなファンド
夕方のバスでウガンダに向かう前に、午前のうちにTBL Mirror Fundを訪れる。The Blue Linkというオランダの社会投資グループが、ケニアを中心とする東アフリカの中小企業に投資するために設立したベンチャーキャピタルファンド。
話を聞いたInvestment AnalystのSarah Ngamauさんは、大学では経済学と会計学を専攻し、会計士になる。その後、国営企業のファイナンス部門に移り、さらにTBL Mirro Fundに転職。仕事の傍ら、CFAを取得するため、現在勉強中とのこと。
当初約40人のオランダ人実業家から投資を受け、400万ユーロの資本でファンドを設立し、現在までに約20社に投資している。(細かい点は英語版のメモをご覧頂くことにして、)特筆すべきは、TBL Mirror Fundの投資家を巻き込むモデル。彼ら投資家は、普通のファンドのように、単にお金を出して、結果が出てくるのを待つというのではなく、投資先バリューアップのための経営支援に積極的に関与する。何しろ、投資先選定の際に、投資家の中からこの会社になら経営支援を担当しようという人が少なくとも二人手を挙げてくれないと、投資は行われないという。
モデルとしては、Social Venture Partnersに少し似ているけど、あちらが経済的リターンを求めないベンチャーフィランソロピーなのに対し、TBL Mirror Fundは社会的・経済的リターンを両方追及する正真正銘のベンチャーキャピタル。
マイクロファイナンスと既存商業資本の間にあるギャップ(一件当たり投資規模約1千万-1億円)を埋めるということだから、私が狙っているセグメントにとても近い。
このセグメントでちゃんと利益を出していくためには、一般の大手ファンドのようなやり方みたいにコストをかけることはできないが、TBL Mirror Fundのこのやり方は、パフォーマンスを犠牲にせずコストを抑える一つのうまい方法かもしれない。ただ、日本ではこのやり方はちょっと難しい気もする。
2009年8月2日日曜日
ケニアのマイクロファイナンスと四方山話
(アフリカ旅行中はできるだけリアルタイムで更新しようと思っていたんですけど、ちょっと間が空いてしまいました。。ちょっとピッチを上げないと!)
1. K-Rep Bank
ケロッグの教授の紹介で、K-Rep BankのManaging DirectorのKimanthi Mutuaさんに会うことができた。現在アフリカ中でマイクロファイナンス系の銀行群が急速に成長しているが、K-Rep Bankもその一つで、そのマイクロファイナンスプログラムは、ケニアではEquity Bankに次ぐ規模。昨日話したAllanさんやCollinsさんも語っていたように、K-Rep Bankはこれまで銀行が無視してきた貧困層や農村部にサービスを提供して、高いカスタマーロイヤリティを獲得しているようだ。
- 元々は、NPOによる中小企業支援のプログラムとして1984年に発足。1989年にマイクロファイナンスをはじめ、1999年に商業銀行に転換。現在はグループ・ローンによるマイクロファイナンスだけでなく、個人ローンや企業ローンなど銀行サービス全般を手がける
- 2007-8年の政治危機までは、毎年30%-50%の勢いで成長してきたが、昨年は社会不安に伴う経済悪化により、債務不履行が急増(2億5千万ドル= ローンポートフォリオの5%)
- ローン需要の増大は今後も続くと見ており、貸し出し資金や支店網拡大のための資本調達を計画中
- 特に建設業からの需要が増加している。他にも、製造業、サービス業(特に運輸・交通、美容など)全般において需要は固い
2. Amaan Khalfanさん(とその友人たち)
月曜日にも会ったAmaanさんのお宅に夕食に招かれる。穀物製粉業を営むAneez Laljiさんなど、Amaanさんのインド系実業家仲間3名とその奥さんたちと現地の治安や政治・経済について話がはずむ。
- 最近Matatu(庶民の足のマイクロバス・タクシー)のハイジャックが多発しているが、これは社会不安を醸成して、警察庁長官を辞任に追い込むための政治的な陰謀だという噂が流れている
- 昨年の最悪期からは随分沈静化したが、政治危機以前に比べると治安は確実に悪化している。2012年の次期大統領選挙はさらにひどいことになるのではないかと懸念する声も大きい
- Equity Bankは現政権との癒着がひどく、次の選挙でもし政権交代があればつぶれるのではないかという噂もある
- 最近、外国政府や企業・ファンドが、自国への作物輸出のため、アフリカの国々の土地を大々的に買占めて議論を呼んでいるが、やり方によっては社会起業家がこうした事業を興して大きなプラスの社会的効果を生むことができるのではないか
- 南アの経済覇権が南部アフリカだけでなく東部アフリカにも広がっている。ケニアがぼやぼやしている間に、タンザニアやウガンダなどの近隣諸国も南ア経済圏に取り込まれている。その内、東アフリカ共同体(EAC)が南部アフリカ開発共同体(SADC)に吸収されるなんて事もありうるんじゃないのか
(以上、単なる噂話ですので、額面どおりに受け取らないでくださいね、念のため。。)
Amaanさんの奥さんお手製のインド料理も美味しかった!